えんがるちょう
正旗
略旗
遠軽町旗2005年10月1日制定遠軽町章2005年10月1日制定
国 日本
地方北海道地方
都道府県北海道(オホーツク総合振興局)
郡紋別郡
市町村コード01555-5
法人番号1000020015555
面積1,332.45km2
(境界未定部分あり)
総人口17,862人 [編集]
(住民基本台帳人口、2024年4月30日)
人口密度13.4人/km2
隣接自治体紋別市、北見市、常呂郡佐呂間町、紋別郡滝上町、湧別町、上川郡上川町
町の木エゾヤマザクラ・藤
町の花コスモス
遠軽町役場
町長[編集]佐々木修一
所在地〒099-0492
北海道紋別郡遠軽町1条通北3丁目1-1
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯44度03分43秒 東経143度31分39秒 / 北緯44.06208度 東経143.52758度 / 44.06208; 143.52758座標: 北緯44度03分43秒 東経143度31分39秒 / 北緯44.06208度 東経143.52758度 / 44.06208; 143.52758
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瞰望岩から望む遠軽市街地(2016年9月)遠軽市街地(西町1丁目より南町・豊里方面、2016年9月)
遠軽町(えんがるちょう)は、北海道オホーツク総合振興局管内、紋別郡にある町。
なお現在の自治体としての遠軽町は、2005年(平成17年)に当時の遠軽町、生田原町、丸瀬布町、白滝村の紋別郡3町1村が対等合併して新たに設置された自治体であるが、本項では便宜上合併以前の旧・遠軽町、およびその前身の旧・遠軽村についても述べる。 オホーツク管内中部に位置する内陸の町で、上川管内と接している。人口は、市部を除いたオホーツク管内15町村の中で最も多く(2017年9月末現在[1])、北海道全体の町村の中でも6番目である(2017年1月現在[2])。面積の広さは「市町村」としては全国9位・道内5位(北方領土内の留別村を含む)、市を除いた「町村」としては留別村・足寄町(いずれも道内)に次ぐ全国3位である。 町の西端に道央圏とオホーツク海側とを結ぶ主要ルートの1つ・北見峠があり、中心の遠軽地区は道央方面と紋別・北見・網走の各方面との交通の結節点として栄えた。また西部の白滝地区は旧石器時代には国内有数の黒曜石およびそれを原材料にした石器の産地であり(白滝ジオパーク)、大正時代には合気道創始者の植芝盛平が入植し武術の道に入ったゆかりの地としても知られる。 1919年(大正8年)に、当時の上湧別村から分村して二級町村・遠軽村が設置された後、生田原村(のちに町)、丸瀬布村(のちに町)、白滝村がそれぞれ遠軽村(→町)から分村されたが、前述のとおり2005年(平成17年)に4町村が新設合併して(新)遠軽町が誕生。現在の遠軽町域は、1919年の遠軽村設置当初の領域と同じになっている。なお旧遠軽町は過疎地域の適用を受けていなかったが、他の3町村がいずれも過疎地域の指定自治体だったことから、新町発足後は基準によりすべての地域で過疎地域に指定されている。 現在の瞰望岩(がんぼういわ)を指していたアイヌ語の「インカルシ(inkar-us-i)」(眺める・いつもする・所)に由来する[3][4]。かつてはここで見張りをしたという[4]。 湧別村時代の1901年、郵便路線整備にともなう新郵便局設置のため現地視察した札幌郵便局管理課員が、瞰望岩を示すアイヌ語名称を意義深いとして、学田農場付近に設置した新局に「遠軽郵便局」と名付けたことが始まりで、のち新設された官公庁や学校などもこれにならい、地名として定着した[5]。
概要
町名の由来