座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度48分40秒 東経130度42分24.7秒 / 北緯33.81111度 東経130.706861度 / 33.81111; 130.706861遠賀川水源地ポンプ室(おんががわすいげんちポンプしつ)は、福岡県中間市土手ノ内1-3-1にある八幡製鐵所のポンプ室である。現在も稼働中であり、八幡製鐵所で必要な水の約7割を送っている。
世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の1つでもある。ただし、危険性があるため、内部は非公開となっており、外観のみ見学可能である。 官営八幡製鐵所(現・日本製鉄八幡製鉄所)が1910年(明治43年)に建設したポンプ室であり、遠賀川の右岸に位置する。 鉄鋼の生産量を年9万トンから18万トンに倍増させる第1期拡張計画と伴い、冷却用水などを確保するために、11.4キロ離れた遠賀川東岸に水源地を新たに設け、パイプラインを経由して製鉄所へ送水するシステムが計画された。この送水システムの設計を担ったのは、近代水道の父と称される東京帝国大学教授の中島鋭治であった。水源地に設置されたこのポンプ室内には、英国から輸入した石炭ボイラーと蒸気式ポンプが採用された。 明治に建築された典型的な煉瓦建造物で、赤煉瓦を「イギリス積み」と呼ばれる方式で積み上げた幅約20m、長さ約40mの2棟の平屋建て建物及び沈殿池からなる。2棟のうち、ボイラー室の床面は地表面と同じ高さであるが、ポンプ室の床面は地表面より低い位置に設けられる。また、窓際や屋根の形状も意匠性に優れる。建物の設計には、奈良国立博物館や迎賓館などの工事に携わった舟橋喜一
概要
稼働当初はポンプの動力が石炭であったため、周辺には石炭関連の施設もあった。中間市の調査では、敷地内から石炭卸場やトロッコレール跡と思われる遺構が見つかったという。大正期には50人前後の従業員が働き、官舎なども併設されていた。1950年にボイラーは電動モーターに代わり、蒸気ポンプなどの石炭関連施設も取り壊され電気ポンプに交換され、現在に至る。[1][2]
交通アクセス
筑豊電気鉄道線希望が丘高校前駅より徒歩16分(1.3km)
JR九州筑豊本線筑前垣生駅より徒歩19分(1.5km)
マイカーの場合、北九州高速4号線小嶺出入口より5km、もしくは九州自動車道鞍手インターチェンジより4.7km。
参考文献^ ⇒“遠賀川水源地ポンプ室|八幡|ストーリー&サイト|明治日本の産業革命遺産” (日本語). 明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業. ⇒http://www.japansmeijiindustrialrevolution.com/site/yawata/component02.html 2018年11月20日閲覧。
^ 津田, 大資 (2015年5月12日). “【日本の源流を訪ねて】今なお現役 遠賀川水源地ポンプ室” (日本語). 産経ニュース. https://www.sankei.com/article/20150512-QRSYCEX4CNIAJBFAF3NPFTXFCM/ 2018年11月20日閲覧。
表
話
編
歴
世界遺産 明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
萩
萩反射炉
恵美須ヶ鼻造船所跡
大板山たたら製鉄遺跡
萩城下町
松下村塾
鹿児島
旧集成館(旧集成館反射炉跡 - 旧集成館機械工場 - 旧鹿児島紡績所技師館)
寺山炭窯跡
関吉の疎水溝
韮山
韮山反射炉
釜石
橋野鉄鉱山
佐賀
三重津海軍所跡
長崎
小菅修船場跡
三菱長崎造船所 第三船渠
長崎造船所
ジャイアント・カンチレバークレーン
長崎造船所 旧木型場
長崎造船所 占勝閣
高島炭坑
端島炭坑
旧グラバー住宅
三池
三池炭鉱、三池港(宮原坑 - 万田坑 - 専用鉄道敷跡 - 三池港)
三角西(旧)港
八幡
官営八幡製鐵所(旧本事務所 - 修繕工場 - 旧鍛冶工場)
遠賀川水源地ポンプ室