遠藤賢司
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、愛称が「エンケン」のミュージシャンである遠藤賢司について説明しています。

愛称が「エンケン」の俳優である遠藤憲一については「遠藤憲一」をご覧ください。

漫画『20世紀少年』の登場人物 遠藤健児(ケンヂ) については「20世紀少年の登場人物」をご覧ください。

テレビドラマに登場する遠藤賢司については「HERO (テレビドラマ)#第1期、第2期共通」をご覧ください。

法学者の「遠藤賢治」とは別人です。

遠藤 賢司
別名エンケン
生誕 (1947-01-13) 1947年1月13日
出身地茨城県
死没 (2017-10-25) 2017年10月25日(70歳没)
ジャンルロック
フォークソング
職業シンガーソングライター
純音楽家
担当楽器ギターブルースハープほか
活動期間1960年代 - 2017年
公式サイト ⇒遠藤賢司秘宝館
著名使用楽器
マーティンD-35、マーティンD-18
ヤマハ・FG-180
グレッチロックジェット
グレッチホワイトファルコン

遠藤 賢司(えんどう けんじ、1947年1月13日 - 2017年10月25日[1])は、茨城県ひたちなか市出身のシンガーソングライターミュージシャン。自称「純音楽家」。愛称は「エンケン」。

主に扱う楽器はアコースティックギターエレクトリックギターブルースハープ。ほかにも、ウクレレピアノドラムなどの楽器を演奏する。自身のほぼ全ての楽曲の作詞作曲も手がける。

「純音楽」をキーワードに活動。代表曲に、「夜汽車のブルース」「満足できるかな」「カレーライス」「東京ワッショイ」「不滅の男」「夢よ叫べ」などがある。好きな食べ物はカレーライス好きで、歌詞中に猫の登場する楽曲も数多い。
来歴と作品
デビュー - 二十代(1970年代中期)

茨城県勝田市(現在のひたちなか市)に生まれ、県内各地を転々として育つ。茨城県立太田第一高等学校卒業後に上京。東京で浪人生活を送る中で聴いたFENから流れてくるボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」に触発され、明治学院大学進学後に自身も歌とギターを始め、1960年代後半のフォークシーンで頭角を現すようになる。高田渡南正人らと東京でアマチュアシンガーとして交流。

1968年8月、京都・山崎の宝寺で開催された「第3回フォークキャンプ」に初めて参加し、高石ともや五つの赤い風船加川良ザ・フォーク・クルセダーズ、関西フォークの人々と知り合う。「君がほしい」「ほんとだよ」「外は雨だよ」を歌う。フォークキャンプがきっかけとなり、同年東京の高石音楽事務所に所属。

1969年1970年1971年の三度行われた中津川フォークジャンボリーに出演。この時期のライブ音源はライブコンピレーションアルバム『黎明期ライヴ』(1989年発表)などに収録されている。また、ジャックス岡林信康のコンサートにゲスト出演するなど、日本のロック/フォークの歴史に名を残すアーティストらとの交流も、この時期からすでに始まっている。特にはっぴいえんどは、その前身であるヴァレンタイン・ブルー時代から遠藤のバックを務めている。

1969年シングル「ほんとだよ/猫が眠ってる」で東芝EMI内のエキスプレスレーベル(当時)よりレコードデビュー。「ほんとだよ」の編曲は木田高介。この曲は、ケルト音楽におけるリュート的音色の生ギターと、雅楽的アプローチのフルート、クラシック的アプローチのチェロをフィーチャーして録音された曲。「猫が眠ってる」はシタール西岡たかしタブラ加藤和彦が参加し、さらに早川義夫を鳴らしている。

1970年、1stアルバム『niyago』でURCからアルバムデビュー。バックにはっぴいえんどの細野晴臣鈴木茂松本隆らが参加している。「ほんとだよ」「猫が眠っている、NIYAGO」はシングルとは別バージョン。「夜汽車のブルース」は晩年のライブにおいても最重要レパートリーのひとつとなっている。

1971年ポリドールから2ndアルバム『満足できるかな』を発表。前作に引き続きバックを担当するのは細野晴臣、鈴木茂、松本隆である。本作収録曲の「カレーライス」がヒットした。また、本作にはこの他にもタイトル曲の「満足できるかな」をはじめ、「待ちすぎた僕はとても疲れてしまった」、「寝図美よこれが太平洋だ」、「ミルクティー」など、のちのライブでも演奏される機会の多い楽曲が多く収められている。また、NHK放映のドラマ(佐々木昭一郎演出)『さすらい』に出演し、雨の降る中、無人の日比谷野外音楽堂で「カレーライス」を歌う姿を披露している。このドラマには友川かずきも出演している。

1972年、「カレーライス」がシングルカットされる。10万枚のヒット[2]。これはアルバムとは別バージョンで、武川雅寛バイオリンで参加している。同年、3rdアルバム『嘆きのウクレレ』を発表。細野晴臣、鈴木茂、林立夫松任谷正隆後藤次利乱魔堂洪栄龍頭脳警察のトシ(石塚俊明)らが参加。ジャケット画はうらたのぶこによる。「猫と僕と君」(バックの後藤・林・松任谷は、小坂忠のバックを務めていたフォージョーハーフである)、「Hello Goodby」(バックの細野・鈴木・林は実質的にキャラメル・ママであり、この曲がキャラメル・ママとしての最初の録音ということになる)、トシがコンガで参加した「プンプンプン」、そしてベートーヴェン第九に独自の詞をつけアコースティックギターの弾き語りでカヴァーした「歓喜の歌」(よろこびのうた)などを収録。「歓喜の歌」は2004年にBank Bandによってカバーされている。

1973年ライブ・アルバム『歓喜の歌 遠藤賢司リサイタル』を発表。同年4月30日に東京の共立講堂で行われたライブを収録。このライブにはキャラメル・ママの細野晴臣・鈴木茂・松任谷正隆・林立夫をはじめ、駒澤裕城、武川雅寛、井上陽水(ギター)らが参加している。ライブタイトルにもなった「歓喜の歌」や「カレーライス」をはじめ、「待ちすぎた僕はとても疲れてしまった」、「ミルクティー」、「Hello Goodby」などを収録。

1974年、アルバム『KENJI』を発表。洪栄龍を中心とするシューティングスター、高中正義深町純ティン・パン・アレーのリズムセクションである細野晴臣と林立夫、山内哲星勝らが参加。ジャケット画は横尾忠則による。先行シングル曲「踊ろよベイビー」などを収録。自身の宇宙観をテーマにしたコンセプト・アルバムである。ちなみに本作収録の「けんちゃんの宇宙旅行」をのちに曽我部恵一は「サイケの決定版」と評している。

1975年ベスト・アルバム『Silver Star BEST OF KENJI ENDO』を発表。さらに同年CBS・ソニーに移籍し、アルバム『HARD FOLK KENJI』を発表。主にバックを務めるのは平野融と平野肇、前作に続き洪栄龍のスラッピージョーも参加。さらに、高中正義、村上秀一土屋昌巳斉藤ノブ、松任谷正隆、吉川忠英矢野誠矢野顕子など多数のミュージシャンが参加。先行シングル曲「遠い汽笛」などを収録。CBS・ソニーからのリリースは本作のみとなり、これ以後の数年間はライブ中心の活動となる。1976年、デビュー直後の太田裕美のコンサートにゲスト出演もしている。

1970年代のライヴは、春一番コンサート、ホーボーズコンサートなどの音源が多数残されている。また、他のミュージシャンのレコーディングにも参加しており、休みの国、高田渡、あがた森魚かまやつひろしなどの作品でも、彼の演奏や歌を聴くことができる。

また、カレー好きが高じて1974年には渋谷道玄坂にカレー店『ワルツ』を開店する。1977年、渋谷の明治通り沿いの地下に移転(1980年閉店)。ライブや映画上映会なども定期的に行う。ライスを三角錐型に盛った「ピラミッドカレー」が名物だった。また、「ラブラブカレー」はライス部分がハートの形をしたものだった。
三十代(1970年代後期 - 1980年代中期)

1979年ベルウッド・レコードからアルバム『東京ワッショイ』を発表。主にバックを務めるのは四人囃子佐久間正英・岡井大二・佐藤満で、さらに山内テツなども参加している。ジャケットデザインは横尾忠則。これまで一般的にはフォークシンガーとして認知されていた彼であり、「ほんとだよ」のセルフ・カヴァーも収録されているが、デビュー当初から彼が併せ持っていたパンク的な資質が本作で全面的に開花する。アナログA面は「東京サイド」、B面は「宇宙サイド」と名づけられており、「宇宙サイド」はアルバム『KENJI』(1974年発表)や次作『宇宙防衛軍』とテーマ的に関わりを持つ。本作収録の「東京ワッショイ」、「不滅の男」はアルバムに先駆けて前年(1978年)に先行シングルとしても発売されているが、どちらの楽曲もともに、これ以降のライブで重要曲として演奏され続けることになり、アンコールで演奏されることも多い。また「レイジー男だけのファンクラブ」の会長を引き受け、アイドル歌謡バンドであったレイジーのハードロック化・ヘヴィメタル化を後押しした。

1980年、アルバム『宇宙防衛軍』を発表。前作に引き続き四人囃子(佐久間正英・岡井大二・茂木由多加・森園勝敏)、さらに土屋昌巳らが参加。ジャケット画はスタジオぬえ宮武一貴による。前作の流れを受けつつも、本作ではSFアニメ的な世界観が全面的に展開される。「宇宙防衛軍放送局」から流されている番組というコンセプトに沿って、SF、テクノ、パンク、演歌ハードロッククラシック、ムード歌謡、フォークなどの様々な音楽性を貪欲に取り入れた本作はカルト的注目を受ける。また、本作からはタイトル曲の「宇宙防衛軍」と「通好みロック」がシングルカットされている。タイトル曲の「宇宙防衛軍」は、昭和期特撮映画のテーマ曲風で、伊福部昭に捧げられた曲である。また、「哀愁の東京タワー」は前作とは全く別のアレンジで収録されている(前作ではクラフトワークばりのテクノアレンジであったが、本作ではムード歌謡路線で、平山みきとデュエットしている)。

1981年ツービートのシングル「俺は絶対テクニシャン」で作曲を担当している。須藤薫牧田和男を引き連れたライブも渋谷テイクオフセブンなどで記録されている。

1982年カルト映画の極北として名高い『ヘリウッド』(長嶺高文監督)に出演。音楽も担当する。この映画は『東京ワッショイ』、『宇宙防衛軍』をモチーフに作られたもの。本作で彼が演じた「松玉斎ダンス」というキャラクターは、地球人を植物化し地球征服をたくらむ宇宙の悪漢というものであり、地球征服の鍵を握るアップル君にうんこを食べさせたり、こやしをやって地球征服の準備を着々と進めるといったとんでもないものであった。また、ダンスはシルバースター一座を率いて、『宇宙防衛軍』収録曲である「通好みロック」を歌うなどしている。シルバースター一座で繰り広げられたダンス一味とビワノビッチ(尼子狂児)やナベ島神父(佐藤B作)らの死闘は本作品のハイライトである。

1983年コロムビアからミニアルバムオムライス』を発表。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:85 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef