日本の政治家遠藤 柳作えんどう りゅうさく
生年月日 (1886-03-18) 1886年3月18日
出生地 埼玉県北葛飾郡千塚村(現・幸手市)
没年月日 (1963-09-18) 1963年9月18日(77歳没)
出身校東京帝国大学法科大学独法科卒業
所属政党(立憲政友会→)
(無所属→)
自由民主党
称号従三位
勲一等瑞宝章
昭和六年乃至九年事変従軍記章
参議院議員
選挙区埼玉県地方区
当選回数1回
在任期間1955年6月5日 - 1956年6月3日
第11代 朝鮮総督府政務総監
在任期間1944年7月24日 - 1945年10月24日
総督阿部信行
第42代 内閣書記官長
内閣阿部内閣
在任期間1939年8月30日 - 1940年1月16日
第3代 満州国総務長官
在任期間1933年7月22日 - 1935年5月11日
官選第26代 愛知県知事
在任期間1932年6月28日 - 1933年7月21日
その他の職歴
官選第16代 神奈川県知事
(1931年12月28日 - 1932年6月28日)
衆議院議員
選挙区:埼玉県第3区
当選回数:1回
(1928年2月20日 - 1930年1月21日)
官選第25代 三重県知事
(1926年9月28日 - 1928年2月28日)
官選第29代 青森県知事
(1925年9月16日 - 1926年9月28日)
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遠藤 柳作(えんどう りゅうさく、1886年3月18日 - 1963年9月18日)は、日本の政治家、官僚、実業家、弁護士。衆議院議員。貴族院議員。参議院議員。武蔵野銀行初代頭取。 埼玉県北葛飾郡千塚村(現幸手市)生まれ。遠藤幸五郎の二男[1]。第二高等学校を経て、1910年、東京帝国大学法科大学独法科を卒業後、文官高等試験に合格し、朝鮮総督府に入り試補、同書記官、同秘書官を務めた[1]。1920年、東京府産業部長、次いで千葉県内務部長、青森・三重県知事を歴任した。 1928年、埼玉3区から立憲政友会に属して衆議院議員となった。弁護士を開業し、武蔵野鉄道会社社長に就任[1]。神奈川県・愛知県知事を経て、1933年、満洲国国務院総務庁長に就任した[1]。1936年、貴族院議員に勅選された[1]。1939年、阿部内閣の内閣書記官長に就任した[1]。1944年、朝鮮総督府政務総監に就任した。敗戦後、公職追放になったが、解除後1952年、武蔵野銀行創立委員となり、初代頭取に就任した。
経歴