遠藤実
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遠藤 実
2002年4月
基本情報
別名星幸男[1]
野原耕[1]
米田信一[1]
継正信[1]
ベン・ミラー
生誕 (1932-07-06) 1932年7月6日
日本東京府南葛飾郡吾嬬町
(現・東京都墨田区立花
死没 (2008-12-06) 2008年12月6日(76歳没)
日本東京都中央区
ジャンル演歌
職業作曲家
活動期間1952年 - 2008年

遠藤 実(えんどう みのる、1932年昭和7年)7月6日[2] - 2008年平成20年)12月6日)は、戦後歌謡界を代表する作曲家の一人である。東京府南葛飾郡吾嬬町(後の東京府東京市向島区、現在の東京都墨田区立花[2]に生まれ、杉並区南荻窪1丁目に居住していた。
人物左が遠藤(中央が丘灯至夫、右が舟木一夫

作曲家として世に送り出した楽曲は5000曲以上(その大部分は演歌)と言われ、舟木一夫千昌夫森昌子など多くの歌手を育てた。また、遠藤本人が作詞も併せて行った作品も一部存在する(橋幸夫千昌夫山本リンダこまどり姉妹渥美二郎等の楽曲)。

第二次世界大戦時の1943年3月、新潟県西蒲原郡曽根町(現在の新潟市西蒲区)に疎開する[3]。父が新潟刑務所看守へ配属されることが決まり新潟県西蒲原郡内野町(現在の新潟市西区内野)に引っ越しする[4]

高等小学校卒業後、14歳で日東紡績内野工場の工員となる[5]

1948年、山乃家菊丸とコンビを組み、門付け越後獅子等の芸を民家の軒先で披露し、金品を貰う習慣である新潟特有の演芸スタイル)芸人になる[6]。これが、後の作曲家人生に大きな影響を与えた。

1949年7月、17歳の時に上京[7]。様々な職を経て[8]、ギターを携えて流しの演歌師になる[9]

星幸男のペンネームで作曲した「酒場の女」が[10]1952年日本マーキュリーより「破れソフトのギター流し」(作詞:松村又一、歌:藤島桓夫)のタイトルで発売され作曲家としてデビュー[11]。発売当初、作曲者名は「清水網雄」とされていたが、遠藤が友人に自作曲を「自分が書いたことにして出せよ」と渡したらその曲が採用され、そのまま友人の作曲として世に出てしまったという[11]。後に作曲者名は「星幸男」に訂正されている。

その後日本マーキュリーの専属作曲家となる[12]1957年、日本マーキュリーより発売された「お月さん今晩わ」(作詞:松村又一、歌:藤島桓夫)がヒット[13]1958年日本コロムビアから「からたち日記」(作詞:西沢爽、歌:島倉千代子)を発表し大ヒット[14]。その後日本コロムビア専属になる[15]

1965年3月、日本コロムビアとの契約を解く[16]。同年、島倉千代子らのパトロンだった中山幸市太平住宅創業者)の出資による太平音響株式会社の設立に加わり専務取締役となり[17]1966年には自叙伝『太陽も笑っている』が映画化、『太陽に突っ走れ』 (主演:千葉真一) のタイトルで東映から製作配給された。

1968年に中山幸市が死去すると、太平音響の2代目社長に就任し[18]、社名をレーベル名と同名のミノルフォンに改名する。先に創業した日本クラウンに続き、自前のプレス工場を持たず制作とプロモーションに特化して、アーティスト主導の運営を打ち出した新業態レコード会社の嚆矢の一社だった。1970年5月に社長を辞任[19]。その後、1972年に徳間康快徳間書店)に買収され徳間音楽工業と改称、さらに系列レーベルの別会社ジャパンレコードと合併して徳間ジャパン(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)に改組した。

1988年4月、ハワイで心臓のバイパス手術を受ける[20]。当初発案していた「日本音楽作家協会」設立に関する諸々を、発案仲間で業界の重鎮である作詞家松井由利夫石本美由紀猪俣公章、弟子である冬樹かずみ等に前もって依頼した経緯がある。この時の呼びかけにより、三木たかし等も賛同した。翌1989年、テレビ朝日で『玉置宏の歌謡日本』が日本音楽作家教会の協賛で放送開始。病中ながら関連資料の監修等積極的な音楽活動に貢献。

1994年、新潟県西蒲原郡巻町(現在の新潟市西蒲区)に遠藤実記念館「実唱館」がオープンした[21]

2002年、勲三等旭日中綬章受章[22]2003年、歌謡界から初めて文化功労者に選出された。

2008年12月6日10時54分、急性心筋梗塞のため東京都中央区の病院で死去[23]。76歳没。

2008年12月19日日本国政府は遠藤に対し、数々の楽曲で大衆音楽発展に尽くした遠藤の功績を讃え、死去した12月6日付で正四位に叙し、旭日重光章を授与することを決めた。更に2008年12月26日の閣議に於いて、2009年1月23日国民栄誉賞を授与することを正式決定した[24]。国民栄誉賞の受賞は陸上選手高橋尚子以来8年ぶり16人目の受賞で、作曲家では古賀政男服部良一吉田正に次いで4人目の受賞者でもあった。

晩年は「再販制度廃止反対」運動を行っていた縁から、第3代日本共産党中央委員会議長不破哲三と交流があった[25]


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