違法薬物の取引
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違法薬物取引(いほうやくぶつとりひき、英語: illegal drug trade)または薬物密売(やくぶつみつばい、英語: drug trafficking)は、薬物禁止の対象である薬物の栽培・製造・流通、販売を目的とした世界的なブラックマーケットである。ほとんどの地域では、ライセンスに基づく場合を除き、薬物禁止法により多くの種類の薬物の取引を禁止している。

国連薬物犯罪事務所の『世界薬物報告書2005』によれば、2003年だけでも世界の違法薬物市場の規模は3,216億米ドルと見積もられている[1]。同年の世界のGDPが36兆米ドルであったことを考慮すると、違法薬物の取引は世界の貿易総額の1%近くを占めていると考えられる。違法薬物の消費は世界的に広まっており、地方当局が阻止することは依然として非常に困難な状況である。違法薬物の国際ルート(CIA資料)。黄色で示されているのは、「黄金の三角地帯」と「黄金の三日月地帯世界の主なヘロイン生産国(赤色)米南方軍が監視する麻薬密売航空路.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
歴史

中国当局は、1730年・1796年・1800年にアヘンの使用を禁止する布告を出した[2]西洋は19世紀後半から20世紀初頭にかけて中毒性のある薬物を禁止した[3][4][5]

19世紀初頭、中国での違法な麻薬取引が行われるようなった。その結果、中国のアヘン中毒者の数は1838年までに400万人から1200万人に増大した[6]。これを受けて、中国政府はアヘンの輸入を禁止し、イギリス清王朝の間で阿片戦争(1839-1842)が勃発した。勝利したイギリスは、中国に対してイギリス商人によるインド産アヘン販売の許可を強いた。アヘン取引は収益性が高く、19世紀には中国人にとってアヘン喫煙が一般的になったため、イギリス商人は中国人との貿易を増やした。1856年にアロー戦争が勃発し、イギリスだけでなく第二帝政期のフランスも参戦した。これらの戦争後、南京条約(1842年)と天津条約により、英国王室は中国政府に対し、押収して押収・破棄したアヘンに対する賠償として多額の金を支払うことを義務付けた。

1868年、アヘンの使用が増加した結果、英国は1868年薬事法を施行することにより、英国でのアヘンの販売を制限した[7]。米国では、1912年に万国阿片条約が12カ国で締結された後、1914年にハリソン法が導入されるまで、アヘンの管理は個々のの管理下に置かれた。

1920年から1933年頃までの間、アメリカ合衆国憲法修正第18条により、米国内での消費のための酒類の製造、販売、輸送が全面的に禁止された。禁酒法の施行は現実的なものでなく、現代のアメリカン・マフィアをはじめとする組織犯罪が台頭し、違法酒の製造・密輸・販売による巨大なビジネスチャンスを特定した現代のアメリカマフィアを見出した[8][9]

21世紀に入り、北米やヨーロッパでは薬物使用が増加し、特にマリファナコカイン需要が増加した[10][11]。その結果、シナロア・カルテルンドランゲタなどの国際組織犯罪シンジケートは、大西洋を跨いだ麻薬密輸を促進するために互いに協力し合うようになった[12]。この他に、違法薬物であるハシシの使用もヨーロッパで増加している。

薬物密売は、世界中の立法者によって重大な犯罪と広く見なされている。罰則は、薬物の種類(およびそれが取引された国でのその分類)、取引量、販売場所、流通経路などによって異なる。薬物が未成年者に販売された場合、他の状況よりも厳しい刑罰が科せられることがある。

麻薬の密輸に対しては、多くの国で厳しい罰則を課している。量刑には、長期間の投獄、鞭打ち、さらには死刑(シンガポール・マレーシア・インドネシアなど)が含まれる。2005年12月、 25歳のオーストラリアの麻薬密輸業者であるVan Tuong Nguyenは、2004年3月に有罪判決を受けた後、シンガポールで絞首刑に処された[13]。2010年には、マレーシアで1キログラム (2.2 lb)の大麻を密輸した2人に死刑判決が下された[14]。処刑は主に抑止力として使用されているが、多くの者が麻薬密売対策に各国がより効果的な措置をとることを求めている[15]。たとえば、他の物品(野生生物など)や人身取引にも積極的な特定の犯罪組織を標的にすることなどである[16][17]。多くの場合、政治家と犯罪組織の間のつながりが存在することが証明されている[18]

2021年6月、インターポールは92カ国で行われた作戦を明らかにした。この作戦によって、偽造医薬品や不正医療品を販売する11万3,000のウェブサイトやオンラインマーケットプレイスが閉鎖され、全世界で227人を検挙し、2,300万ドル相当の医薬品を回収し、大量の偽COVID-19検査薬や顔マスクを含む約900万個の機器や医薬品を押収するなどの成果が挙げられた[19]
社会的影響

違法薬物取引は、密輸される国にも悪影響を与えるが、最も影響を受けているのは生産国と中継国である。例えばエクアドルは、ゲリラ・民兵・麻薬密売組織から逃れた最大30万人の難民がコロンビアから流入している。亡命を申請した者がいる一方で、不法移民のままの者もいる。コロンビアからエクアドルを経由して南アメリカの他の地域に渡る薬物は、経済的および社会的問題を引き起こしている[20]

米国に向かうコカインの推定79%が経由するホンジュラス[21]は、殺人率が2011年時点で世界で最も高い国となっている[22]国際危機グループによると、中央アメリカで最も暴力的な地域、特にグアテマラとホンジュラスの国境沿いは、活発な麻薬密売と深い関係があるとされる[23]
暴力犯罪

多くの国では、違法薬物取引が殺人などの暴力犯罪に直結していると考えられている。これはホンジュラスなどのすべての発展途上国で顕著であるが、世界中の多くの先進国にとっても問題となっている[24][25]。1990年代後半、米国の連邦捜査局は、殺人の5%が麻薬関連であると推定した。コロンビアでは、薬物暴力は、経済・貧弱な統治・権限を持つ法執行機関の欠如などの要因によって引き起こされている[26]

2001年のアメリカ同時多発テロ事件を受けた国境警備強化の一環で、21世紀初頭に米国とメキシコ当局による取締が強化された結果、メキシコ側での国境における暴力的衝突が急増した。メキシコ政府は、殺害の90%が麻薬関連であると推定している[27]

英国政府の薬物戦略ユニットが報道機関にリークした報告書によると、中毒性の高い薬物であるヘロインやコカインが高価なため、万引きの85%、強盗の70?80%、窃盗の54%など、犯罪の大部分が薬物使用によるものであるとしている。そして、「コカインやヘロインの違法な使用を支えるために行われる犯罪のコストは、英国では年間160億ポンドにのぼる」と結論づけている[28]
麻薬密売ルート高速ボートから2300ポンドのコカインが東太平洋に投棄される様子(米沿岸警備隊提供)2015年11月10日に米国麻薬取締局に逮捕された、ニコラスマドゥロ大統領の甥、エフライン・アントニオ・カンポ・フローレスとフランシスコ・フローレス・デ・フレイタス。
南アメリカ

国連によると、2002年以降ベネズエラを通過するコカインの密売が増加している[29]。2005年、ウゴ・チャベス政権は、米国麻薬取締局(DEA)との関係を断絶し、その代表者がスパイ行為を行っていると非難した[30]。DEAがベネズエラから撤退したことにくわえて、2005年にはDEAがコロンビアとの提携を拡大した結果、ベネズエラは麻薬密売人にとって魅力的な国となった[31]


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