道頓堀グリコサイン
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6代目グリコサイン(昼間)

道頓堀グリコサイン(どうとんぼりグリコサイン)は、大阪道頓堀戎橋南西袂に江崎グリコが設置している看板屋外広告)である。
概要

グリコサインを含む道頓堀川沿いの看板群は、大阪の旅行ガイドブックなどにしばしば写真やイラストが使われるランドマークである。2003年4月11日には大阪市中央公会堂港大橋などとともに大阪市指定景観形成物に指定されている[1]

所在地は大阪府大阪市中央区道頓堀1-10-2の、大阪市中央消防署道頓堀出張所などが入るビルの裏手、道頓堀川左岸に面した北側に掲出されている[2]。このビルは、江崎グリコも区分所有権を有している[3]

グリコサインに描かれている男性ランナーは、菓子「グリコ」のロゴマーク(江崎グリコでは「ゴールインマーク」と呼称する[4])で、日本国外でも Glico Man[5]や Glico Running Man[6] の名で知られている。江崎グリコの見解では、ゴールインマークに特定個人のモデルはいない[7]。グリコの発売当初パッケージに用いられていた初代ゴールインマークに対して「顔が怖い」という感想が寄せられたため、1928年に表情を中心としてデザインが変更されたが(2代目ゴールインマーク)、この際にフォルチュナト・カタロン(フィリピン、短距離走)や谷三三五(短距離走)、金栗四三(マラソン)といった陸上選手がにこやかにゴールする姿を参考に描き直されたという経緯がある[7][4]。カタロンのフィニッシュ姿勢が両腕を上げるものであったことから、「グリコのランナーのモデルはカタロン」という説が語られることがある[5][6]。2020年代現在用いられているゴールインマークは7代目にあたり、2代目以後さらにデザインに修正が加えられている。「ゴールインマーク」の「モデル」をめぐる問題については「グリコ (菓子)#マーク」の項目を参照のこと。
歴史
初代(1935年 - 1943年).mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}画像提供依頼:初代の広告塔の写真(著作権消滅済)の画像提供をお願いします。(2020年12月)

初代の広告塔は1935年に設置された[8][注釈 1]。高さは33mあった[8][9]。初代グリコサインはその後のものとは異なり、巨大な「グリコ」の文字を中心に据えたもので[4][8]、ランナーのロゴマークは文字の上部に示されていた[8]。ランナーやグリコのロゴが6色に変化し、毎分19回点滅する花模様で彩られた。

両手と片脚を上げる「ゴールインマーク」の基本的な姿勢は変わらないものの、初登場から現在までたびたび修正が行われている。1935年当時用いられていたのは「2代目ゴールインマーク」で、2020年代現在用いられている7代目ゴールインマークに比べると、やや胴長の体型であった[3]

1943年鉄材供出のため解体された[9]
2代目(1955年 - 1963年)

1955年、2代目の広告塔が再建された[9]。高さ22mの縦長のアーチ状のデザインで、ランナーを中心に据えた[4]

2代目の特徴として、下部に舞台が設けられたことが挙げられる[8][9]。舞台ではファッションショー[9]ロカビリー大会[9]、演奏会[8]や漫談[8]などが催された。舞台の高さは戎橋に合わせており[9]、催事の際には戎橋から観覧していたという[8]

2代目から、『一粒300メートル』のキャッチコピーが添えられた。
3代目(1963年 - 1972年)

1963年には、高さ18m×幅8mの3代目に掛け替えられた。これは12トンの水を使った噴水式で、中央の150本のノズルから噴き出す水を12色400基のライトが照らし、虹を描くものであった。水は循環式で、落水音はコンブリバンドと呼ばれる防水シートで消音していた[10]。ただし、風の強い日には戎橋の上に水がかかった[9]
4代目(1972年 - 1996年)

1972年に設置された4代目は、現時点(2023年)で最も長い期間(24年間)設置されたものである。高さ17m×幅10.85mで、陸上競技場を走るランナーがデザインされ、現在のデザインの原型となった。夜間の点灯は日没から23時までであった[10]

4代目の頃には、看板前で同じポーズをとって写真を撮る人が増えた。映画(『ブラックレイン』など)やドラマ(『ナニワ金融道』など)でも大阪を象徴する場面に使われるようになったという[9]

看板を掲出していたビルの建て替えにより1996年1月21日に点灯終了し、翌日より撤去された[10]
5代目(1998年 - 2014年)

道頓堀川左岸、戎橋付近の夜景。中央やや左が5代目グリコネオン

5代目グリコネオン、2012年8月の日中の様子。東日本大震災被災者に寄せた「みんなに笑顔を届けたい。」の垂れ幕が添えられている

工事シートに覆われている状況(2014年9月)

ビルの建て替えにあわせて掛け替えられ1998年7月6日に再点灯した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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