道上洋三
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どうじょう ようぞう道上 洋三
プロフィール
出身地
山口県熊毛郡平生町
生年月日 (1943-03-10) 1943年3月10日(81歳)
最終学歴日本大学法学部
勤務局朝日放送テレビ
職歴編成局アナウンス部(1992年前後に次長)
取締役(ラジオ担当、国際室[注釈 1] 長)
活動期間1965年 - 2022年
ジャンルラジオパーソナリティ
配偶者熊谷瞭子(ナレーター)
著名な家族道上拓人(長男・俳優)
公式サイト ⇒アナウンサープロフィール 道上洋三
出演番組・活動
出演経歴朝日放送時代
ABCヤングリクエスト
おはようパーソナリティ道上洋三です
歴史街道?ロマンへの扉
Club JONR
道上洋三の健康道場
TBSへの出向期間中
ヤング720
モーニングジャンボ奥さま8時半です
朝日放送テレビ
キャスト
備考
2021年9月11日に脳梗塞を発症してからは、療養とリハビリに専念。アナウンサー: テンプレート - カテゴリ

道上 洋三(どうじょう ようぞう、1943年昭和18年〉3月10日(公称)[1] - )は、朝日放送テレビ[注釈 2](ABCテレビ)元・アナウンサー
来歴・人物

山口県熊毛郡平生町出身。2014年7月ワニブックスから刊行された自著『ふたつめの誕生日 ?おはようパーソナリティ道上洋三の「なんで?」?』にて、実際には1942年9月に出生していたこと[2][3] を明かしている。血液型については、幼少期から「A型」と思い込んでいたが、朝日放送への入社後(39歳の時)に受診した人間ドックで「B型」と判明している[4]

出生の時点で実父が太平洋戦争に出征していた[3] ことなどから、5歳までは広島県甲奴郡上下町(現在の府中市)の母方の祖父母宅で育った[5]。ちなみに実母は、祖父の勧めで1947年に再婚すると、再婚相手との間で道上の弟に当たる一卵性双生児を出産。道上も一時再婚相手と同居していたが、道上や弟に対する冷遇振りに業を煮やした祖父が、道上・実母・双子の弟を実家(母方の祖父母宅)に連れ戻したという。結局実母は、道上が6歳の時に双子の弟を養子に出したうえで、道上が18歳になるまで平生町で道上と生活を共にした(詳細後述[6]

平生町立佐賀中学校(現在の平生中学校)への在学中に軟式テニス部で活動した後に、山口県立熊毛南高等学校へ進学。進学後には一時、校内の硬式野球部へ所属した。もっとも、後述する家庭の事情で夜遅くにまで及ぶ練習へ参加しにくい状況にあったことに加えて、試合に1度だけ出場したところ「(チームとしては相手より)弱すぎる」と感じたことからすぐに退部した。陸上競技部への転籍当初は短距離走に取り組んでいたが、複数台のハードルを購入できるだけの予算が部に付いたことを機に、顧問教諭の勧めでハードル走の選手に転向[7]。転向後に県大会で2位を記録する[8]など、「山口に道上あり」と言われるほどの好成績を収めた末に、日本大学法学部への推薦入学を果たした[9]

日本大学では、110メートルハードル走の選手として1964年の東京オリンピックを目指していた。しかし、1年生の夏季休暇中の練習で、腰を痛めたことを機に陸上競技部を退部[9]。「選手としてはオリンピックに参加できなかったけど、報道する人間として参加できないものか」との思いから、2年生の時に「オール日大放送研究会」へ入る[9] とともに、スポーツアナウンサーを志すようになった[10]。3年生の時に「オール日大放送研究会」の部長に就任すると、後に日本教育テレビ → テレビ朝日のアナウンサーになる北村元からの依頼で、吹奏楽研究会のコンサートの司会も務めた[9]
朝日放送入社後

1965年に、アナウンサーとして朝日放送(ABC、旧法人)に入社した。同期入社のアナウンサーに、因田宏紀辻豊人などがいる。

入社してすぐに、今井音也(後の桂音也)が作った落語研究会へ強引に入会させられた。新人アナウンサーとして共通語の講義を受ける一方で、落語研究会の一員として桂枝雀上方落語の稽古もつけてもらっていた。その影響で話し方が混乱したため、共通語の講師にも枝雀にも「訛がとれていない」と指摘された。ちなみに、落語研究会の発表会では「煮売り屋」を演じた。

入社2年目の1966年には、自身の希望でビートルズの初来日公演(日本武道館)の模様を取材した。道上は、「日本のディスクジョッキーで、東京公演を実際に武道館で鑑賞したのは自分だけ」と語っている[11]
ラジオ番組での活動

1966年4月1日から1974年3月まで、ABCラジオの深夜番組『ABCヤングリクエスト(ヤンリク)』で初代のパーソナリティを務めた。1974年4月から1年間は、当時のABCテレビのキー局であったTBSへ出向。ネットチェンジによってABCのキー局がTBSからNETテレビ(現在のテレビ朝日)に変更された1975年4月からABCに復帰すると、『あすは日曜 道上です!』のパーソナリティへ起用されたことを皮切りに、『歌謡曲ぶっつけ本番』などへ出演した。

1977年3月28日からは、『おはようパーソナリティ中村鋭一です』の後継番組『おはようパーソナリティ道上洋三です(おはパソ)』で、45年間にわたってパーソナリティを務めている(詳細後述)。

また、2009年10月から2011年10月1日までは、土曜深夜(日曜未明)の『Club JONR』で久しぶりに深夜放送へ出演。『ヤンリク』のパーソナリティを経験した(元)アナウンサーの1人として、ナビゲーターやをパーソナリティを担当していた。2011年11月8日放送の特別番組『パーソナリティ秋の交流戦セカンドステージ 角からすみまで道上洋三です』では、ABCラジオの番組初出演の角淳一毎日放送出身のフリーアナウンサー)と共演している。

2014年10月からは、『おはパソ』に加えて、『道上洋三の健康道場』(『おはパソ』の同名コーナーから派生したABC制作の事前収録番組)のパーソナリティも務めていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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