過越
??? ????????
セーデルの食卓
正式名称ヘブライ語: ???
イディッシュ語: ??????
別名除酵祭、種なしパンの祭り、ペサハ
種類ユダヤ教
趣旨十の災いの後、奴隷から解放されてヘブライ人がエジプトから脱出したことを祝う。
初日ユダヤ暦 ニサン月 15日
最終日ユダヤ暦 ニサン月 21日/22日
行事2つ(イスラエルでは1つ)の祝いの食事「セーデル」、ハッガーダーの詠唱、マッツァーを食す、4杯のぶどう酒を飲む、エリヤの杯を満たす。
関連祝日シャブオット(七週の祭り、ペンテコステ):過越祭の第2日から49日後に祝われる。
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過越(すぎこし)またはペサハ(ヘブライ語: ??????, pesach)とは、ユダヤ教の宗教的記念日。家族が食卓につき、マッツァーやセーデル等の儀式的なメニューの食事をとって祝う。期間はザドク暦
では第一のホデシュの14日。ユダヤ暦ではニサン月(政治暦7月、宗教暦正月)14日。ユダヤ暦は太陰太陽暦であり、初日のニサン月15日はグレゴリオ暦3月末から4月頃の満月の日となる。語源と各言語での名称言語表記
ヘブライ語??????
ラテン語Pascha
イタリア語Pesach/Pesah
Pasqua ebraica
フランス語Pessa'h/Paque
スペイン語Pascua
ドイツ語Pessach
オランダ語Pesach
英語Passover
スウェーデン語Pesach
ハンガリー語Peszah (husvet)
ポーランド語Pascha
ロシア語пасха (paskha)
エスペラント語Pesa?o
聖書の出エジプト記12章に記述されている、古代エジプトでアビブ(ニサン)の月に起こったとされる出来事に起源を持つ。エジプトの地で奴隷になっていたイスラエルの民が、モーゼの先導でパレスチナの地に脱出した故事を記念する。
イスラエル人は、エジプトに避難したヨセフの時代以降の長い期間の間に、奴隷として虐げられるようになっていた。神は、当時80歳になっていたモーセを民の指導者に任命して約束の地へと向かわせようとするが、ファラオがこれを妨害しようとする。そこで神は、エジプトに対して十の災いを臨ませる[注 1]。その十番目の災いは、人間から家畜に至るまで、エジプトの「すべての初子を撃つ」というものであった。神は、二本の門柱と、かもいに、子羊の血がついていない家にその災いを臨ませることをモーセに伝える[1]。つまり、この名称は、二本の門柱と、かもいに、子羊の血のついている家にはその災厄が臨まなかった(過ぎ越された)ことに由来する。
この祭事は、元は遊牧民において冬の宿営地から夏の宿営地へと移動する際に行われていた厄除けのための祭事が起源であり過越とは関係のない祭であったが、上記のような出エジプトにおける過越の伝承と結び付けられてユダヤ教の祭となったと考えられている。種入れぬパンの祭(除酵祭)[2]もまた、起源は過越とは関係のないイスラエル人がカナンに定住するようになった時代の農業祭であったが、過越祭と除酵祭がともに種入れぬパンを食べる習慣を持ち、また祭の時期も近かったため、二つの異なる祭が併合されて一つの祭となったと考えられている[3]。
聖書における過越の準備15世紀
現在では行われないものと受け継がれているものがある[4]。
アビブ(ニサン)10日
傷のない雄の子羊、または山羊を選び分ける[5]。
アビブ(ニサン)14日
その羊(または山羊)を屠殺し、その血を家の2本の戸柱と戸口の上部に掛ける[6]。夜にその肉を焼き、酵母の入っていないパン(マッツァー)と苦菜(マーロール)を添えて食べる。生のまま、または煮て食べることは禁止されている[7]。残った肉は火で焼き尽くす必要がある。朝まで残しておいてはいけない[8]。
聖書における除酵祭の規定
エジプトを出発した15日から始まる[9]。
神への祭りとして代々祝わなければならない[10]。
14日の夕方から21日の夕方まで酵母なしのパン(種なしパン)を食べなければならない[11]。
1日目と7日目の聖会の日には仕事をしてはいけない。しかし食べなければいけないものは用意される[12]。
安息日の翌日に祭司が穀物の初穂の束を揺り動かす[13]。