週刊新潮
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週刊新潮
『週刊新潮』創刊号の表紙
刊行頻度週刊
発売国 日本
言語日本語
出版社新潮社
編集長宮本太一
刊行期間1956年2月6日 - 現在
発行部数338,609部(2021年1月 - 2021年3月日本雑誌協会調べ)
ウェブサイトwww.shinchosha.co.jp/shukanshincho/
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『週刊新潮』(しゅうかんしんちょう)は、株式会社新潮社から発行されているゴシップ誌1956年昭和31年)2月6日2月19日号)創刊。

発行部数39万部は週刊文春に次いで業界第2位[1]。発売日は毎週木曜日(地域によっては金曜日・土曜日)。
創刊1967年12月9日号の新聞広告

昭和20年代の『週刊朝日』を始めとした新聞社系週刊誌が全盛の中、1954年に副社長の佐藤亮一らにより週刊誌が企画され、編集発行人が佐藤、編集者に斎藤十一が加わって、1956年に発刊。雑誌社系週刊誌の草分けとなった[2]。『週刊朝日』とは異なる路線を目指した。

創刊号(2月19日号)のラインナップは、

連載小説 : 谷崎潤一郎「鴨東綺譚」、大佛次郎「おかしな奴」、五味康祐柳生武芸帳

読切小説 : 石坂洋次郎「青い芽」

読切連載 : 中村武志「目白三平の逃亡」

創刊号は40万部を売るが、その後は20万部程度になる。谷崎の連載はモデル事件により6回で中断し、代わって石原慎太郎「月蝕」を連載。続いて柴田錬三郎「眠狂四郎無頼控」の連載も開始、11月12日号からは「吉田茂回顧録」も連載し、部数は50万部に達した。五味、柴田の人気は、剣豪小説ブームの引き金ともなった。

当時の編集方針を斎藤十一は後に「俗物主義」と呼び、新聞社が扱わないニュース、金と女に着目するものだった。創刊時から起用したライターには草柳大蔵がおり、アンカーマンとして特集記事をまとめるようになる。代表的な記事には、カメラマンとして土門拳が参加した「八月六日の遺産-初めてルポされたABCC(原爆傷害調査委員会)の実態」(1957年8月11日号)、「特別レポート 横綱審議会-大義名分を巡る攻防の五時間」(1958年2月10日号)などがある。その後に参加したライターには井上光晴、編集者として江國滋もいた。このようにして、次第に独自のスタイルを築くことで部数は上向き、1959年新年号は100万部を発行するまでになった。

税込み480円[3]で販売されている。
特徴

1997年まで統括責任者を務めた斎藤十一が確立した路線は、政治的には保守系・右派であり、現在では日本で最も右派的な立場を採る週刊誌となっている。自民党読売新聞などのスキャンダルも取り上げるが、基本的にターゲットは左派・リベラル系の政党、議員、メディアである[4]。政治家や芸能人のスキャンダル、殺人事件などの社会事件も数多く採り上げている。

創価学会公明党とは犬猿の仲で有名。東京都大田区では公明党区議が区立図書館からの引き揚げを、区議会で迫ったことがある。
表紙絵
谷内六郎
郷愁と安らぎを感じさせる抒情詩的で独自の画風の表紙絵は、創刊時より谷内六郎が担当。谷内は当時は田園地帯であった世田谷で少年時代を送り自然豊かな環境で育ったのちに喘息の持病を持ちながら電球工場、町工場、看板屋、雑誌社給仕と転職を繰り返し、そのかたわら雑誌新聞に投稿を繰り返し、1955年には「漫画讀本」に発表した「行ってしまった子」で第1回文藝春秋漫画賞を受賞し画壇デビューを果たす。翌1956年には「週刊新潮」創刊と同時に表紙絵を担当。以降25年間にわたって59歳で急逝する1981年まで表紙絵を担当[5]
成瀬政博
1997年よりは、横尾忠則の弟で1989年長野県北安曇郡松川村に移住した成瀬政博が担当。2004年には安曇野アートラインにある個人美術館「Museum Cafe BANANA MOON」を開館。1F展示室に表紙絵原画季節ごとに作品の入れ替えを行いながら展示、販売している[6]
問題視された記事・注目された記事
1970年代

1972年4月、
沖縄返還協定の際の日米政府の密約を報じた毎日新聞の記事について、機密文書を漏洩した外務省の女性事務官と西山太吉記者の不倫関係をスクープ。「機密漏洩事件―美しい日本の美しくない日本人」「泥にまみれた毎日新聞大戦争の終戦処理」と題した記事にする(川端康成のノーベル文学賞受賞におけるスピーチの捩り)。以後、マスメディアの報道は「情報源の秘匿」や「知る権利の侵害」の論争ではなく、単なるセックススキャンダル追及に変わる。真相が明らかになったのは21世紀に入ってから。詳細は「西山事件」を参照

1980年代

1980年3月、
警察当局と日本新聞協会との間で結ばれた報道協定により報道が自粛されていた富山・長野連続女性誘拐殺人事件について、三週間が経過して報道協定が事件解決の役に立たなくなったとして同年3月27日発売の4月3日号にて記事として取り上げた。この時点では、犯人の逮捕はもちろんのこと被害者の行方も分からない段階であった[7]

1983年9月29日号で桐山襲の小説『パルチザン伝説』について「おっかなビックリ落選させた『天皇暗殺』を扱った小説の『発表』」を掲載した。『文藝』を発行する河出書房新社に対する右翼団体の街宣を煽る(菊タブー。新潮はこの時だけでなく、『週刊金曜日』の記事などに対しても同様の行為をしているが、皇太子夫妻に対しては自ら攻撃対象にしている。詳細は下記)。

1990年代

1994年7月、
松本サリン事件に関し、「毒ガス事件発生源の怪奇家系図」とする記事で被害者の河野義行の家系図を掲載した。翌年のオウム真理教事件の捜査で疑いは晴れたが、河野は多くのメディアが犯人扱いをした中で『週刊新潮』に対してのみ告訴を検討した。謝罪文掲載の約束により告訴を取り下げたが、約束は守られていないため、事実上はいまだ謝罪していない。

1994年9月1日号に掲載された「大石寺『僧侶』を衝突死させた創価学会幹部」に対し当該の学会員が新潮社に対して名誉毀損であると民事訴訟を起こす。


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