週刊文春
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週刊文春
1964年2月24日号の新聞広告
刊行頻度週刊
発売国 日本
言語日本語
出版社文藝春秋
編集長竹田聖
刊行期間1959年4月 -
発行部数520,000部(2021年1月 - 2021年3月日本雑誌協会調べ)
ウェブサイトbunshun.jp
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『週刊文春』(しゅうかん ぶんしゅん[注釈 1])は、株式会社文藝春秋の発行する日本の情報週刊誌である。
概要

1959年4月創刊。創刊号が発売されたのは明仁皇太子ご成婚の前々日であり、「あさっては皇太子のご結婚、今日は週刊文春の創刊日。」という広告を出していた。「日本の出版社系週刊誌では1956年創刊の『週刊新潮』(新潮社)と並ぶ老舗。「新聞テレビが書かない記事」を書く週刊誌というスタンスをとる。

1977年5月12日号から、表紙の絵はイラストレーターの和田誠が担当している。2019年10月7日に和田は逝去したが、週刊文春は今後も和田のイラストを表紙にしていくことを発表[2]。 なお、和田の表紙は2017年7月20日号で2000回を迎え、2017年7月27日号からは、過去の傑作選によるアンコール企画が続けられていた。

発売日:毎週木曜日。地域によって、金曜日土曜日

売上(実売部数)については、1988年から1992年にかけては60万部台、1993年においては70万部台に達したことがあり、とくに1992年下期と1993年上期の一時期においては主要の総合週刊誌(『週刊文春』ほか、『週刊新潮』や『週刊現代』など)の中でトップに立ったことがある。しかし、その後、1994年以降は60万部台に落ち込み、『週刊ポスト』(小学館)、『週刊現代』(講談社)の後塵を拝することになった。2007年上期には約52万部、2008年上期には約50万部に落ち込むものの、タブロイド化を目指したことで総合週刊誌の実売部数では2004年上期から(2008年下期現在まで)10期連続でトップに立っている[3]

新谷学によると、実売率が8割を超えると「完売」としているが[4]、2016年は、本誌が社会的に注目された背景もあり1月28日号・2月4日号・2月18日号・8月25日号の4号が完売した[5]

2020年上半期の実売部数は、紙の出版物が全般的に苦戦する中で前年同期比104.4パーセントとなり、期間中の実売部数のトップ3は6月18日号の41万9265部、3月26日号の40万8249部、5月28日号の35万9560部で、上位トップ3はすべて「完売」となった[6]

長らく鉄道車両の中吊り広告を出していたが、2021年8月26日発売号の広告を以て廃止した。理由としてネット時代になってニュースの鮮度が短期間になったことや、広告の校了が本誌よりも早いため、校了後に重大な事件やスクープを誌面に入られても広告には入れられない、広告で予告した記事を誌面から外せばクレームが起きるなどの問題があったほか、広告費を削減することでその費用を2021年3月より開始した電子版への注力に回すことが出来るとしている[7]

2023年7月27日、文藝春秋が運営するサブスクリプションサイト「週刊文春電子版」の有料会員が1万人を突破したと発表[8]

主な編集方針

花田紀凱が編集長に在任していた期間は、日本テレビTHE・サンデー』に本人がコメンテーターとして出演した。

2004年に鈴木洋嗣が編集長に就任して以来、これまで同誌を支えてきた専属契約記者が相次いで退社し、殺人事件担当の森下香枝と官庁担当の川村昌代が朝日新聞へ、『噂の眞相』出身で公安事件のエキスパートの西岡研介が『週刊現代』に移籍した。エイチ・エス証券副社長・野口英昭の自殺を巡る報道や読売新聞との批判合戦など、名誉毀損訴訟で敗訴あるいは原告有利の条件で和解するケースが多くなっている。

政治問題や経済問題ならびに企業の不祥事については政治家・官僚や実業家の「金」絡みのスキャンダルが中心だが、直接取り上げている記事もある。芸能人のスキャンダル、殺人事件などの社会事件も数多く取り上げており、近年では『週刊文春』にスクープされた事により社会問題化した事件・不祥事が増加傾向にある。こうした記事は「文春砲」と呼ばれ、元々はインターネットスラングであったが2010年代からはテレビのワイドショー報道番組、『週刊文春』の記事の見出し[9]でもこの用語が使われるようになった。

度々「1000人アンケート」と称してアンケート調査による集計記事を掲載している。主なものとして「女が嫌いな女」「女性芸能人好感度格付」など。アンケートの集計方法など詳細に関しては、『週刊文春』編集部および株式会社文藝春秋は回答を拒否し続けていたが、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}近年になって[いつ?]、無作為に選出した回答者1000人に、3人ずつ自由記入方式で回答し集計する方法をとっていることを明らかにしている。なお、アンケート記事自体の影響力は強く、さとう珠緒西川史子などはそのランクインを出演するバラエティ番組で逆手にとることが多い。和田アキ子は2013年、2015年、2016年(2014年は調査なし)と3回連続で嫌いな女一位になった[10]

作家スキャンダルに対してはタブー視[11]していることを元記者の中村竜太郎[12]や元編集長の花田[13][14]などが認めている。

和田が描いた週刊文春の表紙の絵について、阿川佐和子と平野レミの雑誌対談時に以下のように説明されている[15]。週刊文春の編集部の掲載方針により、和田の死後も表紙の絵の掲載は続いている(2022年時点)。その理由は、近年(2022年)「文春砲」と言われる社会を賑わす際どい記事が増えてきた週刊文春にとって、表紙の絵のおかげでかろうじて品性を保ち、ロゴを見なくても週刊文春だと分かるから、とのこと。和田の表紙の絵が2000回到達したのを機に、“アンコール掲載”に切り替えられた。ちなみに週刊文春ではイラストの他、タイトルロゴと月日号のデザインも和田によるものが使われている[15]

注目された記事・不祥事など
1980年代

1980年、当時
長嶋茂雄(現:巨人軍終身名誉監督)が監督だった読売ジャイアンツ(巨人)がBクラスに低迷し、3年連続でリーグ優勝が絶望的となった状況を受け、7月31日号、8月7日号の2回に分けて巨人OBによる座談会を掲載した。この座談会の出席者は青田昇川上哲治牧野茂藤田元司国松彰の5名で、司会も元巨人OBの瀧安治であった。内容は、OBによる巨人の現状を批判するという趣旨であったが、2回目の8月7日号の記事の中で、川上が「次期監督に藤田元司ということもありうる」と大きく踏みこんだ発言を行い、大きな反響を呼んだ[16]。この5名のOBは、当時巨人のオーナーであった正力亨が7月20日に、親睦と意見を乞う目的で球団OBを招いて開催したゴルフコンペに参加していて、水原茂千葉茂金田正一も参加していた。しかしコンペ終了後、『週刊文春』の手による座談会が企画され、このような発言が飛び出た。巨人はこの年優勝を逃して3位に終わりシーズン終了後の10月21日、長嶋は「3年連続で優勝を逃した責任を取り、男のけじめをつける」と辞任を表明したが、後任には藤田が就任したため結果的には川上の発言通りとなったため、川上はファンやマスコミから「裏で川上が動いた」と非難された[17]。この直後、文春は川上に対してインタビューしたが、川上は「そんなこと私にできるわけがないでしょう。それはあくまでも巨人軍、そして読売新聞の方で決めることでしょう。私は巨人軍とは関係の無い部外者ですよ」と真っ向否定した[18]。「長島解任の黒幕は川上」説の根拠としてこの座談会が注目されたため、11月13日号にて7月31日号、8月7日号の抄訳を掲載した[19]。なお、川上は「次期監督に藤田もあり得る」と発言したことについて「あれは俺の一生の不覚だった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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