連隊の娘
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1910年上演時のポスター.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽

『連隊の娘』(れんたいのむすめ、フランス語: La fille du regiment、イタリア語: La figlia del reggimento)は、ガエターノ・ドニゼッティが作曲した全2幕からなるフランス語によるオペラ・コミックである[1]

劇中の「さようなら」(Convien partir)が有名。舞台は、ナポレオン戦争当時のヨーロッパ・アルプスのチロル地方である。ヒロインのマリーは、幼い頃に両親(実は貴族)と生き別れ、フランス軍の連隊に育てられた娘である。
概要マリー役を演じたジュリエット・ボルゲーゼ

ドニゼッティは当初、このオペラをナポリで上演することを前提にフランス語からイタリア語へ訳詞を試みたが、その途中でオペラ『ポリウト』が政治的理由によって当局の検閲に触れてしまい、これを快く思わなかったため、忌避する形で1839年にナポリを去ってパリへと赴いた。パリに到着してからは、原詞であるフランス語で上演することとした[2]

本作は1840年パリで作曲されたが、作曲当時オペラ=コミック座のための作品を劇場の経営陣から依頼されたため、わずか4時間で完成されたと伝えられる。初演は同年2月11日にオペラ=コミック座で行われた。この時観劇に来ていたベルリオーズは「全てがドニゼッティ氏の歌劇場となってしまった」と皮肉を込めて語っている[3]。この背景には、パリ・オペラ座ではドニゼッティの『殉教者(英語版)』が1840年4月10日に初演され、『ラ・ファヴォリート』も同年12月2日に初演され、ルネサンス座(英語版)では『ランメルモールのルチア』のフランス語版(Lucie de Lammermoor)が1839年8月6日に初演されていた、という状況がある。

本作は「初演より大成功で、オペラ・コミック座での公演は1914年までに1,000回を超えた。イタリア語版による初演はミラノ・スカラ座で1840年10月3日に行われた。しばらくはイタリア語版が大勢を占めたが20世紀後半からはフランス語版が主流となっている」[4]
初演後

米国初演は1843年3月7日ニューオーリンズのオルレアン劇場にて、プラーチェ、ブレラらの出演にて行われた。英国初演は1847年5月27日ロンドンのハー・マジェスティーズ劇場でジェニー・リンド、ラブラーシュらの出演で行われた[5]

日本初演は1914年2月に東京帝国劇場で、小林愛雄の訳詞、同劇場の専属歌劇団によって行われれている[6]
音楽的特徴トニオ役を演じたメセーヌ・マリー・ドゥ・リール

『新グローヴ オペラ事典』によれば「本作の素晴らしさは、軍歌と時折現れる哀感、率直な感情などを巧みに組み合わせたところにある。筋は平凡かもしれないが、ドニゼッティの音楽の旋律と構造が持つ貴族的エレガンスに釣り合う、趣味の良さがあちこちに見受けられる。第1幕の最後でマリー歌うアリアはドニゼッティが心の奥深くから湧き上がる真の感情を表現することに成功した傑作のひとつである。?中略?本作のいたるところでドニゼッティの声楽書法が声に優しいものであることは明白である」[7]

永竹由幸は、本作は「ロッシーニのオリー伯爵』(Le Comte Ory, 1828年)ほどフランス風に変貌していないが、ドニゼッティとしては精一杯フランス風に書いている」と評している[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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