連邦結成の父祖
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1917年に発行された、カナダの3セント切手。原画は、ロバート・ハリス1884年の絵画「連邦結成の父祖 (Fathers of Confederation)」。

連邦結成の父祖(れんぽうけっせいのふそ、英語: Fathers of Confederation)は、カナダ連邦の結成(英語版)に先んじて行われたシャーロットタウン会議(参加者23名)、ケベック会議(参加者33名)、イングランドで開催されたロンドン会議(英語版)(カナダ側参加者16名)のいずれか一つ以上に参加した、36名の人々の総称。下に掲げるリストは、シャーロットタウン会議ケベック会議、ロンドン会議の参加者の一覧であり、各会議の出欠状況を示している[1][2]

ヴィクトリア女王は、「連邦結成の母 (Mother of Confederation)」と称された[3]。連邦の結成における女王の役割は、ビクトリア女王誕生日(英語版)が祝日とされていように、カナダでは広く認知されている。

上記のほか、さらに4人の人物が「連邦結成の父祖」に加えられてきた。シャーロットタウン会議の記録係であったヒューイット・バーナード(英語版)は、一部の論者たちによって連邦結成の父祖の一人と見なされている[4]1867年より後に、連邦に参加した3地域それぞれの指導者たちも、連邦結成の父祖として言及されることがある[1]ルイ・リエルが設立した臨時政府は、最終的にはマニトバ州として1870年に連邦に加わった[5]。また、アモール・デ・コスモス(英語版)は、ブリティッシュコロンビア民主主義をもたらし、また、1871年にこの地域が連邦に参加する上で、重要な役割を果たした[6]ニューファンドランド島がカナダ連邦に加わったのは1949年であるが、その指導者ジョーイ・スモールウッド(英語版)は、その当時「ただ一人の生きている「連邦結成の父祖」 (only living Father of Confederation)」と称された[7]
3会議の参加者たち

参加者[2]肖像地域(現行の州)シャーロットタウンケベックロンドン
サー・アダムス・ジョージ・アーチボルド(英語版)ノバスコシア
ジョージ・ブラウン(英語版)オンタリオ
サー・アレキサンダー・キャンベル(英語版)オンタリオ
サー・フレデリック・カーター(英語版)ニューファンドランド・ラブラドール
サー・ジョルジュ・エティエン=カルティエ(英語版)ケベック
エドワード・バーロン・チャンドラー(英語版)ニューブランズウィック
ジャン=シャルル・シャペ(英語版)ケベック
ジェームズ・コックバーン(英語版)オンタリオ
ジョージ・コールズ(英語版)プリンスエドワードアイランド
ロバート・B・ディッキー(英語版)ノバスコシア
チャールズ・フィッシャー(英語版)ニューブランズウィック
サーアレクサンダー・ティロック・ガルトケベック
ジョン・ハミルトン・グレイ(英語版)プリンスエドワードアイランド


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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