連江県_(中華民国)
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}中華民国 > 福建省 > 連江県 (中華民国)

福建省 連江県別称: 馬祖
時計回りに上から: 東?島の全景、田沃天后宮、「馬祖の」石碑、東引島灯台北竿島の民家、南竿天后宮
地理

座標:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯26度09分04秒 東経119度55分38秒 / 北緯26.15111度 東経119.92722度 / 26.15111; 119.92722
面積:28.8000 km2
各種表記
繁体字:連江
日本語読み:れんこう
?音:Lianji?ng
ウェード式:Lien2-chiang1
注音符号:???????
片仮名転写:リエンジアン
台湾語:Lian-kang
客家語:Lien-kong
?東語:Lieng-g?ng-gaing
行政

連江県旗連江県章

連江県旗連江県徽
行政区分:省轄県
上位行政区画: 福建省
下位行政区画:4
連江県長:劉撩
公式サイト: ⇒連江県政府
情報
総人口:13,089[1] 人(2019年10月)
世帯数:3,187[1] 戸(2019年10月)
郵便番号:209~212
市外局番:0836
連江県の花:ヒガンバナ(彼岸花)
連江県の鳥:黒嘴端鳳頭燕?
テンプレートを表示

連江県(リエンジアン/れんこう-けん)は、中華民国福建省歴史的な連江県の島嶼部にあたり、大陸の中華人民共和国にも同名の県がある。
地理

台湾海峡北部、福建省?江河口部の馬祖島に位置し、南北54キロ、総面積は29平方km強の島嶼群であり、東引、西引、亮島、高登など36の島から構成されている。

島嶼群最大の南竿島の面積は10.64平方キロ、中華人民共和国福州から僅か16海里に位置するため、両岸対立時には最前線の島であった。
気候

連江縣
雨温図説明

123456789101112
  40 145  54 156  92 178  82 2112  94 2417  170 2821  163 3225  131 3224  149 3022  57 2620  30 2114  21 169
気温(°C)
総降水量(mm)

インペリアル換算
123456789101112
  1.6 5741  2.1 5944  3.6 6246  3.2 7053  3.7 7663  6.7 8269  6.4 9077  5.2 9076  5.9 8672  2.3 7967  1.2 7057  0.8 6049
気温(°F)
総降水量(in)


歴史

馬祖島の旧名は南竿塘である。宋代媽祖に由来する現在の名称に改められた。宋代の伝承によれば興化軍?田県?州島に林愿という都巡が住んでいたという。その六女黙娘は孝心に富み、また毎晩海岸で火を起こし漁船が遭難することを防いでおり、島民の賞賛の的であった。しかしある日父が遭難してしまうと、黙娘は海に出て父を探した。結局遺体が南竿島に流れ着いたが、地元の人々がその孝心を顕彰して廟を立て「媽祖」と称するようになり、後にこれが「馬祖」に改められ島名となったと伝わる。

無人島であった馬祖だが、元代1277年から1367年にかけて、?浙沿海の漁民達が天然の良港となることを発見し、悪天候の際の避難先・水の補給地として漁民の補給地点として利用された。明代になると、漁民達が入植し村落を形成するようになった。

中華民国成立後、政府は南竿北竿、東犬、西犬各島に監倉を設置し、漁業振興政策を推進した。1934年には南竿に聯保弁事処を設置し、保甲制度を整備した。日中戦争中の1937年には日本軍によって占領されるが、1945年には福建海上保安総隊及び軍隊が西犬に駐留し治安維持に当たった。

1949年国共内戦中には中華民国軍が各島に進駐し、馬祖軍管区行政公署が設置された。その後1950年には福建省政府?東北行署と改称、1953年には南竿に連江県政府、西犬に長楽県政府、翌年には東引設羅源県政府が設置されるなど、行政区画の変更が短期間の内に複数回行われた。

1955年、?東北行署を福建省第一区行政督察専員公署と改編し連江、長楽、羅源の各県政を統括するようになった。馬祖は金門と並び両岸対立の最前線となっていたため、福建省政府は国防部の要請を受け入れて1967年に専員公署を廃止、馬祖守備区(現在の馬祖防衛司令部)による軍政が敷かれると同時に東犬(現在の東?)、西犬(現在の西?)島、羅源県を連江県に編入した。

1992年11月7日、本島に遅れて馬祖でも戒厳令が解除され地方自治が復活、県長の直接選挙や県議会が成立し現在に至っている。
交通

海路は台馬輪(定員550名)と合富輪(軍用船、民間人用定員50席)が南竿島福澳港及び東引島中柱港から基隆港への便が運航されている。島嶼間の交通は小白船と呼ばれる小型船による連絡がある。

空路は南竿島東岸に位置する南竿空港から台北、台中へ、また北竿島の北竿空港から台北線が運航されている。

このほか小三通の一環として、南竿島福澳港と大陸の福州琅岐港間、および北竿島白沙港と黄岐港間に1日1便の両岸航路が開設されている。
行政地区

区分数名称
市0
鎮0
郷4
南竿郷 北竿郷 ?光郷 東引郷

色名称面積
(km2)管轄村鄰数人口人口密度
(人/km2)郵便番号
南竿郷10.40009村76鄰7,397711209
北竿郷9.90006村27鄰2,327235210
?光郷4.70005村21鄰1,538327211
東引郷3.80002村13鄰1,271334212
連江県28.800022村137鄰12,533435


2016年1月の連江県 ⇒資料より作成。

政治詳細は「連江県長」を参照

連江県では1993年から県長の民選が行われている。

代氏名政党任期
1曹常順中国国民党1993年12月20日 - 1997年12月20日
2劉立群中国国民党1997年12月20日 - 2001年12月20日
3陳雪生親民党2001年12月20日 - 2005年12月20日
4陳雪生親民党→中国国民党2005年12月20日 - 2009年12月20日
5楊綏生中国国民党2009年12月20日 - 2014年12月25日
6劉増応中国国民党2014年12月25日 - 2018年12月25日
7劉増応中国国民党2018年12月25日[2] - (現任)

対外関係
姉妹都市・提携都市

中華民国桃園市

中華民国澎湖県

中華民国金門県

教育
大学

国立台湾海洋大学馬祖校区

高級中学

国立馬祖高級中学


国民中学


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:31 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef