連合国最高司令官総司令部
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連合国軍最高司令官総司令部
General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers
連合国軍最高司令官総司令部が入った第一生命館(1950年頃撮影)
役職
連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー
マシュー・リッジウェイ
組織
上部組織極東委員会
下部組織参謀部、幕僚部
概要
所在地
北緯35度40分34秒
東経139度45分38秒座標: 北緯35度40分34秒 東経139度45分38秒
設置1945年10月2日
廃止1952年4月28日
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連合国軍最高司令官総司令部(れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ、英語: General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers)とは、第二次世界大戦終結に伴うポツダム宣言を執行するために日本占領政策を実施した連合国軍機関である。連合国軍最高司令部、連合国最高司令官総司令部とも。

極東委員会の下に位置し、最高責任者は連合国軍最高司令官(連合国最高司令官とも Supreme Commander of the Allied Powers; SCAP)。日本では、総司令部 (General Headquarters) の頭字語であるGHQや進駐軍という通称が用いられた。支配ではなくポツダム宣言の執行が本来の役目である。結果として、連合国軍占領下の日本は対外関係を一切遼断され、日本と外国との間の人・物資・資本の移動はSCAPの許可によってのみ行われた[1]
目次

1 名称

2 概要

2.1 連合国軍最高司令官

2.2 本部

2.3 機構


3 政策

3.1 戦争犯罪人の逮捕

3.2 公職追放

3.3 言論統制

3.4 非軍事化

3.5 民主化

3.6 農政

3.7 教育改革

3.8 医療制度改革

3.9 日本語のローマ字化計画と断念

3.10 「慰安所」の設置

3.11 非共産化と再軍備

3.12 対日講和


4 影響

4.1 犯罪

4.2 文化


5 年表

6 脚注

7 参考文献

8 関連項目

9 外部リンク

名称[ソースを編集]

1945年(昭和20年)8月14日日本政府が受諾通告したポツダム宣言では、日本を占領する組織はoccupying forces of the Allies(「聯合国ノ占領軍」、ポツダム宣言12条)と表現されている。同年9月2日に締結された降伏文書の中では、日本政府はSupreme Commander for the Allied Powers(「聯合国最高司令官」)の指示に従うこととされ、同時に出された降伏文書調印に関する詔書も「聯合国最高司令官」の指示に従うべきことを表明している。この後も日本の法令では「聯合国最高司令官」(連合国最高司令官)と表記されることが多い。連合国最高司令官の下に属する組織は英語表記によればGeneral Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers (GHQ/SCAP) で、「連合国最高司令官総司令部」、「連合国総司令部」と日本語訳され、日本では多くの場合に略称のGHQ(ジー・エイチ・キュー)と呼称[2]している。

他方で、「軍」を補って、「連合国軍最高司令官」や「連合国軍最高司令官総司令部」または「連合国軍総司令部」のように呼ばれることも多い[3]
概要[ソースを編集] マッカーサー最高司令官(左)を訪問した昭和天皇(右)、1945年(昭和20年)9月27日撮影[4] 呉市内を行進するイギリス王立グルカ連隊(1946年)

連合国軍最高司令官総司令部は、ポツダム宣言の執行のため日本に設置された連合国機関である。

1945年(昭和20年)8月14日に、連合国軍の1国であるアメリカ陸軍の太平洋陸軍[5]総司令官のダグラス・マッカーサー元帥が、連合国軍最高司令官 (SCAP) に就任し[6]、職員はコートニー・ホイットニー弁護士資格を持つアメリカ合衆国軍人や、イギリス軍人、オーストラリア軍人、アメリカイギリスの民間人ら多数で構成され、同年10月2日に総司令部が東京に設置された。

日本を軍事占領するべく派遣されたアメリカ、イギリス、中華民国ソビエト連邦、またカナダオーストラリアニュージーランドなどのイギリス連邦諸国など連合国各国の軍隊から派遣された最大43万人を統括し、多数を占めたアメリカ陸海軍を中心に構成されたアメリカ占領軍 (USOF) と、イギリス軍をはじめとしたイギリス連邦諸国軍を中心に構成されたイギリス連邦占領軍 (BCOF) が連合国軍最高司令官の直下に指揮され、イギリス連邦占領軍が中国・四国地方を担当し、残る都道府県はアメリカ占領軍が担当[7]した。

日本の占領方式は、総司令部の指令を日本政府が実施する間接統治が採られ、GHQは統治者の天皇ではなく日本国政府へ関与し、連合国軍最高司令官総司令部の指示や命令を日本政府が日本の政治機構で政策を実施した。連合国軍最高司令官総司令部の命令は、1945年(昭和20年)9月20日に出された勅令「ポツダム宣言」の受諾に伴い発する命令に関する件」(昭和20年勅令第542号)に基づいて出された勅令、いわゆるポツダム命令[8]として国民へ公布・施行された。


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