連合国最高司令官指令
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連合国最高司令官指令(れんごうこくさいこうしれいかんしれい、Supreme Commander for the Allied Powers Directive)とは、連合国最高司令官(SCAP: Supreme Commander for the Allied Powers)から日本国政府宛てに発せられた基礎的施策を定める指示およびそれを拡充する訓令である。当該指令に係る文書にはSCAP Index Numberと呼ばれる番号が「SCAPIN-○○」という形で付されることから「SCAPIN」(スキャッピン)と通称される。「連合国軍最高司令官指令」や「連合国軍最高司令部指令」と呼ばれることもあるほか、「対日指令」とも略称される。なお、行政的(administrative)な指示であり、「SCAPIN-○○A」という形でSCAP Index Numberが付される「SCAPIN-A」とは区別される[1]
総説

第二次世界大戦の戦後処理において、連合国が主導する連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、日本では通称「GHQ」)より様々な指令が出された。その内容は検閲日本における検閲)の規定、国旗掲揚の許可、漁業権の範囲を定めるもの、農地改革、など多岐に渡る。それらの目的は日本から国家主義軍国主義を一掃することとされている。

SCAPINは、1945年昭和20年)9月2日のSCAPIN-1(一般命令第一号)から1952年(昭和27年)4月26日のSCAPIN-2204まで出された。

1952年(昭和27年)4月28日日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)の発効に伴い、一部の特別な協定の結ばれたものを除き失効した。
日本の領土問題に影響を及ぼしているSCAPIN
SCAPIN-677 (日本の範囲).mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースにSCAPIN677の原文があります。英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。SCAPIN677SCAPIN-677によって決められた日本の施政権が及ぶ範囲SCAPIN-677 (1ページ目)SCAPIN-677 (2ページ目)

日本の行政権の行使に関する範囲に言及した第677号において、伊豆諸島小笠原諸島北緯30度以南の南西諸島竹島鬱陵島済州島千島列島色丹島および歯舞群島が除かれている。これらの地域のうち、サンフランシスコ講和条約発効前に日本に復帰したのは伊豆諸島とトカラ列島のみで、伊豆諸島は1946年(昭和21年)3月22日、トカラ列島は1952年(昭和27年)2月10日に日本に復帰した。一方、(2016年)現在でも竹島を占拠する韓国と、千島列島、色丹島、歯舞群島を占拠するロシアは、この文書を自国の領有根拠の一つとしており、日本との間で領土問題が続いている。

しかし、SCAPの上部組織である極東委員会には軍事作戦行動や領域の調整に関する権限が与えられていない[2]。それを踏まえてこの文書の第6項には「この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。」と、これが暫定的な指令である旨が明示されている。

中ノ鳥島大正時代の大規模探索でも発見されず、1943年(昭和18年)には日本海軍の機密水路図誌から削除されたものの、一般の地図には記載が残っていたため、第677号において言及されている(一般の水路図誌から削除されたのは発令10ヶ月後の1946年(昭和21年)11月22日)。連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号1946年1月29日


1 日本国外の総ての地域に対し、又その地域にある政府役人、雇傭員その他総ての者に対して、政治上又は行政上の権力を行使すること、及、行使しようと企てることは総て停止するよう日本帝国政府に指令する。

2 日本帝国政府は、巳に認可されている船舶の運航、通信、気象関係の常軌の作業を除き、当司令部から認可のない限り、日本帝国外の政府の役人、雇傭人其の他総ての者との間に目的の如何を問わず、通信を行うことは出来ない。

3 この指令の目的から日本と言う場合は次の定義による。 日本の範囲に含まれる地域として日本の四主要島嶼(北海道、本州、四国、九州)と、対馬諸島、北緯30度以北の琉球(南西)諸島(口之島を除く)を含む約1千の隣接小島嶼日本の範囲から除かれる地域として(a)欝陵島、竹島、済州島。(b)北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)、伊豆、南方、小笠原、硫黄群島、及び大東群島、沖ノ鳥島、南鳥島、中ノ鳥島を含むその他の外廓太平洋全諸島。(c)千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島。

4 更に、日本帝国政府の政治上行政上の管轄権から特に除外せられる地域は次の通りである。(a)1914年の世界大戦以来、日本が委任統治その他の方法で、奪取又は占領した全太平洋諸島。(b)満洲、台湾、澎湖列島。(c)朝鮮及び(d)樺太。

5 この指令にある日本の定義は、特に指定する場合以外、今後当司令部から発せられるすべての指令、覚書又は命令に適用せられる。

6 この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。

7 日本帝国政府は、日本国内の政府機関にして、この指令の定義による日本国外の地域に関する機能を有する総てのものの報告を調整して当指令部に提出することを要する。この報告は関係各機関の機能、組織及職員の状態を含まなくてはならない。

8 右第7項に述べられた機関に関する報告は、総てこれを保持し何時でも当司令部の検閲を受けられるようにしておくことを要する。

また、SCAPIN-677が発令された半月後の1946年(昭和21年)2月13日に行われた日本との会談において、GHQはSCAPINが領土に関する決定ではないこと及び領土の決定は講和会議にてなされると回答している[3]。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}行政の分離に關する第一囘會談?(終戰第一部第一課)(昭和二十一年)二月十三日?田聯絡官GS「ロッヂ」大尉及び「プール」中尉と標記の件に關し第一囘會談を行ひたり要旨左の如し?「本日は領土の歸屬問題乃至は本指令の妥當性等に付いては觸れさることとし單に疑義に付質問を爲さんか爲參上せり」米「本指令は單なる聯合國側の行政的便宜より出てたるに過きす從來行はれ來りたることを本指令に依り確認せるものなり即ち其の他はSCAPの所管するところにあらす例へは大島はCINPACの所管。鬱陵島は第二十四軍團の指揮下に在り從つて本指令に依る日本の範圍の決定は何等領土問題とは關聯を有せす之は対日講和會議にて決定さるへき問題なり

朝鮮半島南部を統治していた米軍政府も1947年(昭和22年)8月のレポートにおいて、竹島の管轄権の終局的処分は平和条約を待つとしている[4]。18 Representatives of the Fisheries Bureau and Korea History and Geography Association left for Ulleung-do and Tok-to on 16 August. The latter, two small islands about 40 miles southeast of Ullueng-do, is an excellent base for extend fishing operation. Formally belonging to Japan, a recent occupation directive which draw and arbitrary line demarcating Japanese and Korean fishing waters placed Tok-to within the Korean zone. Final disposition of the islands's jurisdiction awaits the peace treaty.
SCAPIN-677の日本の領土問題への影響の比較

各領土に関する各解釈や問題と、平和条約の適条の関係から、以下の領域の領土問題の出発点は、この同じSCAPIN-677であったとしても、自ずとその問題の性質が異なっている。

サンフランシスコ講和条約第3条によって、
アメリカ合衆国の施政権下に置かれることが規定されたが、主権の放棄は規定されていない奄美諸島琉球列島小笠原諸島[5]

サンフランシスコ講和条約第2条によって、日本が放棄すべき地域とされたものの、帰属先(主権者)が不明確なままである南樺太および千島列島

サンフランシスコ講和条約第2条によって、日本が放棄すべき地域に含まれているのか論争のある北方領土[6]

SCAPIN-677では日本から除外すべき地域とされたが、サンフランシスコ講和条約第2条では規定されていない竹島[7]

南西諸島および小笠原諸島詳細は「本土復帰」、「アメリカ合衆国による沖縄統治」、および「アメリカ施政権下の小笠原諸島」を参照

奄美群島、琉球列島(尖閣諸島を含む)、小笠原諸島などサンフランシスコ講和条約第3条によってアメリカ合衆国の施政権下に置かれた地域については、奄美群島や沖縄での祖国復帰運動や日米間の外交交渉の結果、1953年(昭和28年)12月25日に奄美群島、1968年(昭和43年)6月26日に小笠原諸島、1972年(昭和47年)5月15日に沖縄県が日本に復帰した。
北方領土詳細は「北方領土問題」を参照

ポツダム宣言カイロ宣言)上は日本が主権者でありながらSCAPIN-677によってたまたま日本の施政権の外に置かれただけのように当初見えた北方領土については、当初から漁業権などで問題になっていたにもかかわらず、その主権者(帰属先)がサンフランシスコ講和条約によっても明示されないままであった。


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