連合国共同宣言(れんごうこくきょうどうせんげん、英語: Declaration by United Nations)[注釈 1]は、第二次世界大戦の連合国を正式に結成する主要な条約であり、1942年から1945年にかけて47の国の政府(亡命政府を含む)が署名した。1942年1月1日のアルカディア会談で四大国(アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中華民国)が署名し、翌日には他の22か国の代表が署名を加えた[1][2][3]。
当初の署名国は、四大国、イギリス連邦の4つのドミニオン(オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、南アフリカ連邦)、ヨーロッパの8つの亡命政府(ベルギー、チェコスロバキア、ギリシャ、ルクセンブルグ(英語版)、オランダ(英語版)、ノルウェー(英語版)、ポーランド、ユーゴスラビア(英語版))、アメリカ州の9か国(コスタリカ、キューバ、ドミニカ共和国、エルサルバドル、グアテマラ、ハイチ、ホンジュラス、ニカラグア、パナマ)、非独立政府1か国(イギリス領インド帝国)である。
連合国共同宣言は、国際連合の基礎となり[4]、国際連合憲章として正式に制定され、1945年6月26日に50か国が署名した。 連合国は、1941年6月にセント・ジェームズ宮殿宣言で、第二次世界大戦後の世界に対する理念やビジョンを初めて表明した[5][6]。1941年7月には英ソ軍事同盟 1941年12月29日、ホワイトハウスにおいて、フランクリン・D・ルーズベルト米国大統領、ウィンストン・チャーチル英国首相、ルーズベルトの側近ハリー・ホプキンスによって起草された。ソ連の提案を取り入れたが、フランスには役割を与えなかった。ルーズベルトはまず、第二次世界大戦の「連合国」(Allies)を表す言葉として"United Nations"という言葉を作った。ルーズベルトは、Associated Powers"という名称に代わるものとして"United Nations"を提案した(アメリカは第一次世界大戦の連合国に正式には加盟していなかったが、1917年に自称「連合国」(Associated Power)として参戦していた)。チャーチルはそれを受け入れ、この言葉が、バイロン卿の詩「チャイルドハロルドの巡礼
背景
概要
連合国共同宣言は、現代の国際連合の基礎となった[4]。第二次世界大戦中において、"United Nations"という言葉は"Allies"と同義語となり、"United Nations"は連合国が共同で戦う際の正式名称とされた。
宣言文では、「生命、自由、独立、信教の自由を守り、自国のみならず他国においても人権と正義を守るためには、敵に対する完全な勝利が不可欠であり、世界を服従させようとする野蛮で残忍な勢力との共通の闘争に現在従事している」という、署名国の見解が確認されている。「完全な勝利」(complete victory)の原則は、枢軸国の「無条件降伏」を得るという連合国の政策の初期の先例となった。「ヒトラー主義」の敗北が最大の目的であり、ドイツ、イタリア、日本を支配する全体主義的な軍国主義政権は区別できないという連合国の共通見解を示していた[12]。さらに、この宣言は「ウィルソン主義の自己決定の原則を支持する」ものであり、アメリカの両大戦における戦争目的を結びつけるものであった[13]。