通潤橋
通潤橋(2007年6月撮影)
基本情報
国 日本
所在地熊本県上益城郡山都町
交差物件緑川水系五老ヶ滝川
建設1854年
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯32度40分54.1秒 東経130度59分37.3秒 / 北緯32.681694度 東経130.993694度 / 32.681694; 130.993694
通潤橋(つうじゅんきょう[1])は、熊本県上益城郡山都町(やまとちょう)にある石造単アーチ橋。2023年(令和5年)9月25日、橋などの土木構造物としては全国初の国宝に指定されている[2][3][4]。
江戸時代の嘉永7年(1854年)に阿蘇の外輪山の南側の五老ヶ滝川(緑川水系)の谷に架けられた水路橋で、水利に恵まれなかった白糸台地へ通水するための通潤用水上井手(うわいで)水路の通水管が通っている。完成当時は吹上台目鑑橋と呼ばれていたが[5]、肥後藩の藩校時習館の教導師であった真野源之助により易経(易損卦程伝)の一節、
澤在山下
其氣上通
潤及草木百物
.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}澤(さわ)は山下(さんか)に在(あ)り
其(そ)の気(き) 上(うえ)に通(つう)ず
潤(うるお)いは草木(そうもく)百物(ひゃくぶつ)に及(およ)ぶ
? 周易程朱傳義折衷 損卦
から 採択し、通潤橋と命名された[5]。 石造単アーチ橋で、橋長は78メートル、幅員は6.3メートル、高さは20メートル余、アーチ支間は28メートルである[6][7]。橋の上部には3本の石管が通っている。肥後の石工の技術レベルの高さを証明する歴史的建造物であり、国宝に指定されている。なお通潤橋を含む通潤用水は日本を代表する用水のひとつとして農林水産省の疏水百選に選定され、橋と白糸台地一帯の棚田景観は、通潤用水と白糸台地の棚田景観の名称で国の重要文化的景観として選定[8]されている。
概要