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やノートページでの議論にご協力ください。定期乗車券(ていきじょうしゃけん)とは、鉄道・バスなどの公共交通機関において、通勤・通学を主に特定の区間を繰り返し乗車する乗客を対象として、一定の期間を区切って発行される乗車券である。一般的に定期券(ていきけん)または定期(ていき)と略して呼ばれる。 定期乗車券の運賃は、券面記載経路を、普通乗車券で有効期間内に1日1往復する場合の額より安価に設定されている。 利用には、券面記載氏名の本人が使用する場合のみ有効とする記名式[注釈 1]が原則である。事業者によっては乗車時の所持者であれば誰でも有効とする持参人式を設定している場合がある。 基本的に紛失した場合は同一内容で再発行は出来ず、再度新規で購入する必要があるが、ICカード形式で発行した場合は手続きを行うことで再発行が可能であり、紛失したカードを無効にする事ができる。 定期乗車券は運賃体系に合わせて導入されている。日本においては、原則として券面記載経路しか乗車することができず、普通乗車券などで認められている選択乗車などのルールも一部を除き適用されていないが、その経路内の駅(停留所)であれば、原則として下車や乗車が可能である。イギリスのロンドン地下鉄などでは特定区間ではなくゾーン制の運賃となっており定期券も「ゾーン1内7日間有効」や「ゾーン2-3内1か月間有効」のような形態で発行される[1]。 自動改札機の普及に伴い、Suica、PASMOなどのICカードに定期券の情報を記録して、読み取り部分にタッチ(接触)させるだけで利用できるICカード式の定期乗車券も多い。この形式の乗車券は乗客の利便性を図るだけでなく、乗車券の偽造防止や専用改札口を設けることによる自動改札機本体の省力化など、事業者側にもメリットがある。 なお、定期航路を持つ船舶の場合、定期乗車券と同様の扱いの定期乗船券(ていきじょうせんけん)を発行している場合がある。通学定期乗船券を発行している航路もある[2]。駐車場の繰り返し利用に対して定期駐車券が発行されることがある[3]。 鉄道発祥の国であるイギリスでは20世紀に入り馬車鉄道は市街電車、乗合馬車は乗合自動車となり、地下鉄道も電化されるなど現代の交通機関がほぼ確立された[4]。都市の拡大により労働者は都市の外周部にまで進出したが、安くて便利な市街電車が鉄道の近距離客を吸収した[4]。一方、鉄道会社はさらに外縁地域の開発に力を注ぐとともに、定期乗車券の発行などにより交通手段の利便を図ったことで、中流階級を中心とする居住地は更に拡張された[4]。 日本における鉄道定期乗車券は1873年(明治6年)5月、新橋・横浜間の上等車旅客に対し3か月(後に90日)の「常乗切手」を120円(この区間の片道運賃は1円12銭5厘)で発行することを計画したのが最初である[5][6]。この計画は6月5日、太政大臣から正式に認可も受けたが、実施前になぜか中止となり、実際には発行されなかった。次いで1874年(明治7年)7月、大阪・神戸間の上等および中等旅客に対して3・6・9・12か月の「期限切手」が計画され、7月18日に伊藤博文工部卿から認可されたが、こちらも実施には至らなかった[5]。 実際に日本初の定期乗車券としては、1886年(明治19年)1月1日「定期乗車券発行規約」の実施により上等および中等の旅客に対して、1・3・6・12か月の4種類が新橋・横浜間の特定の駅間(全部の駅間相互ではない)で発売され[7]、1890年(明治23年)7月には、新橋および横浜を中心に発売範囲が拡大された。近畿地方では1887年(明治21年)5月に神戸、大阪、京都、大津の各駅で発売された。どちらも下等旅客に対しては発売されず、その理由は不明である。下等旅客に対するものは1895年(明治28年)3月1日から発売された学生定期乗車券が最初で、通用1か月のものが発売された。また、まだ発売は1・2等のみであったが、指定した駅間相互の運賃が個別に定められ発行されていた定期券は、1898年(明治31年)11月からマイルごとの運賃によるものに改められた[8]。のち1899年(明治32年)からは3等(従来の下等)に対する普通定期乗車券が発売された。 通勤用の職工定期券は1908年(明治41年)3月11日から、普通定期券に対して特定の海軍工廠に勤務する職工に、あらかじめ決められた駅から最寄り駅(横須賀、田浦、呉のみ。佐世保と舞鶴は除外)に割り引き運賃で発売されたのが最初である[9]。その後、1918年(大正7年)7月6日から職工定期券の名称で1か月通用3等のみが発売されたが、1922年(大正11年)3月21日の改正からは3か月も発売されるようになった[10]。発売の対象となる勤務先は海軍工廠の外、軍需に関係のある工場(大阪鉄工場、大阪汽車製造、住友鋳鋼場、住友電線製造所、三菱造船神戸造船所)だけであり、発着駅や区間、乗車する列車や車両が指定されるなど制約の多いものであった[11]。 1918年(大正7年)7月6日には「定期券規程」が制定され、運賃の割引率の整理が行われ、この時から12か月通用の学生定期券が発売された[12]。1921年(大正10年)の鉄道開通50周年に合わせて規程類の整理・統合・改訂を行うため、1920年(大正9年)10月に「国有鉄道旅客及荷物運送取扱規則」を制定し、さらに同年12月「国有鉄道旅客及荷物運送取扱細則」を制定、いずれも翌10年1月11日から施行した。この時に普通定期の1等が廃止されている[13]。 国鉄自動車に対する定期乗車券は、1930年(昭和5年)12月17日「国有鉄道旅客及荷物運送規程」および「国有鉄道旅客及荷物運送細則」の改訂で自動車定期乗車券が定められた。通用期間は1・3・6・12か月で、さらに1934年(昭和9年)11月15日には1・3か月の通学自動車定期乗車券が制定され、従来の自動車定期乗車券は自動車普通定期乗車券と改称した[14]。 1932年(昭和7年)になると、第一次世界大戦の好景気の時期である1921年(大正10年)に制定された規程が昭和恐慌の時期に合わなくなり、同年6月に大改訂が行われた。「旅客及荷物運送規則」が制定されて8月1日から施行された[15]。この時、職工定期乗車券の3か月が追加され、定期券購入の条件が「工場法または鉱業法の適用を受け且つ鉄道省の指定したもの」に拡充された。1937年(昭和12年)6月1日改正では、普通定期の12か月定期が廃止された[16]。さらに1943年(昭和17年)、6か月普通定期および12か月学生定期が廃止された。1943年(昭和17年)4月1日の改正では、既に学生定期乗車券のみであった12か月通用定期券が廃止された。職工定期券については工員定期乗車券と名称が改められ、購入条件が国民労務手帳法による国民労務手帳所持者に拡大され、6か月定期券も発売された。これによって定期乗車券は、普通、学生、工員の3種類で、通用期間は1・3・6か月だけに統合された[17]。 太平洋戦争後、1946年(昭和21年)3月1日からは、工員定期券と学生定期券を統合して、特殊定期(工員用特殊定期乗車券と通学用特殊定期乗車券)とし、普通定期券との2本立てになった[18]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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