追風山裕邦
[Wikipedia|▼Menu]

追風山 裕邦

追風山 裕邦(1959年。当時は追手山)
基礎情報
四股名山口 貢 → 清櫻 貢 → 追手山 貢 → 追手山 寅次郎 → 追手山 貢 → 追風山 裕邦
本名山口 貢
生年月日1938年6月16日
没年月日 (2014-01-02) 2014年1月2日(75歳没)
出身青森県北津軽郡嘉瀬村(現・同県五所川原市
身長181cm
体重131kg
BMI39.99
所属部屋立浪部屋(入門時は追手風部屋
得意技左四つ、寄り、上手投げ
成績
現在の番付引退
最高位東前頭6枚目
生涯戦歴577勝545敗18休(88場所)
幕内戦歴107勝133敗15休(17場所)
データ
初土俵1953年5月場所
入幕1960年5月場所
引退1969年5月場所
引退後年寄大鳴戸→年寄・追手風→年寄・中川
備考
2019年7月14日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

追風山 裕邦(おいてやま ひろくに、1938年6月16日 - 2014年1月2日)は、青森県北津軽郡嘉瀬村(現・同県五所川原市)出身で立浪部屋(入門時は追手風部屋)に所属した大相撲力士。本名は山口 貢(やまぐち みつぐ)。最高位は東前頭6枚目(1962年11月場所)。現役時代の体格は181cm、 131kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。現在の追手風親方(元前頭2・大翔山直樹)の岳父[1]

なお、夫人は最初の師匠・8代追手風(元大関清水川)の義理の姪(夫人の叔母が、師匠の後妻に当たる)である。
来歴

5人兄弟の末っ子として生まれ、子供の時から体格が大きく多くの相撲大会に出て活躍していた。その活躍ぶりが、同郷で追手風部屋に所属した元幕下力士・清水岩の目に止まり、中学校在学中に同部屋へ入門する事となった。

1953年5月場所にて、14歳で初土俵、翌場所から立浪部屋所属となった[1]序ノ口に付いた時の四股名は、師匠の元大関・清水川から1字を取った「清櫻」であった。

なお、改名後の「追手山」および「追風山」は、いずれも追手風部屋に因んでいる。

以来、1954年1月場所で序二段1955年1月場所で三段目へ昇進。1956年1月場所では幕下昇進と、順調に出世街道を走った。

1959年1月場所、20歳で十両に昇進。その後、1960年5月場所で新入幕を果たした[1]

非力だが重い腰を生かした寄りや上手投げを得意としたが、組んでも頭を下げず勝ち味も遅くて幕内上位へ進出できず、1969年5月場所限りで引退した[1]

引退後は年寄大鳴戸から同・追手風を襲名し、長らく立浪部屋の部屋付き親方でいた。だが、娘婿である元前頭2・大翔山の中川親方に追手風部屋再興を託して、追手風と中川の年寄名跡を交換。

この間、元・大翔山とともに友綱部屋に移り、1998年には元・大翔山の11代追手風親方の独立とともに追手風部屋に移籍。以降は、部屋付き親方として停年退職まで部屋の運営をサポートした。

停年退職後は埼玉県内で暮らしていたが、2014年1月2日に心停止のため75歳で急逝した。[2]
年譜

1953年5月:追手風部屋より、初土俵を踏む。

1959年1月:十両に昇進。

1960年5月:追手山寅次郎の四股名で、新入幕。

1962年1月:追手山貢の四股名で、再入幕。 

1962年11月:自己最高位となる、東前頭6枚目に昇進。

1965年1月:追手風部屋が、立浪部屋に吸収合併される。

1965年11月:追風山裕邦と改名(上の名の読みは、「おいてやま」のまま)。

1969年5月:引退。年寄・大鳴戸襲名。その後、年寄・追手風を襲名。

1998年2月:年寄・中川(元・大翔山)と名跡を交換。

主な成績・記録

通算成績:577勝545敗18休 勝率.515

幕内成績:107勝133敗15休 勝率.446

十両成績:358勝331敗1休 勝率.520

現役在位:88場所

幕内在位:17場所

十両在位:46場所

各段優勝

十両優勝:1回(1964年11月場所)


場所別成績

追風山裕邦 一月場所
初場所(
東京) 三月場所
春場所(大阪) 五月場所
夏場所(東京) 七月場所
名古屋場所(愛知) 九月場所
秋場所(東京) 十一月場所
九州場所(福岡
1953年
(昭和28年) x x 西新序
0–3  x 東序ノ口筆頭
2–6  x
1954年
(昭和29年) 東序二段64枚目
5–3  西序二段24枚目
5–3  東序二段7枚目
3–5  x 西序二段11枚目
5–3  x
1955年
(昭和30年) 西三段目66枚目
5–3  東三段目40枚目
5–3  東三段目24枚目
4–4  x 東三段目20枚目
7–1  x
1956年
(昭和31年) 西幕下59枚目
5–3  西幕下46枚目
4–4  西幕下44枚目
5–3  x 西幕下39枚目
5–3  x
1957年
(昭和32年) 西幕下27枚目
5–3  西幕下18枚目
3–5  西幕下23枚目
5–3  x 西幕下19枚目
4–4  西幕下19枚目
3–3–2 
1958年
(昭和33年) 西幕下26枚目
5–3  東幕下20枚目
6–2  西幕下11枚目
4–4  西幕下10枚目
4–4  西幕下9枚目
6–2  東幕下3枚目
7–1 
1959年
(昭和34年) 西十両22枚目
12–3  西十両7枚目
7–8  西十両8枚目
9–6  東十両6枚目
6–9  西十両9枚目
7–8  東十両10枚目
8–7 
1960年
(昭和35年) 西十両8枚目
9–6  西十両5枚目
11–4  東前頭17枚目
8–7  東前頭13枚目
3–12  東十両6枚目
8–7  東十両5枚目
5–10 
1961年
(昭和36年) 西十両10枚目
9–6  東十両5枚目
8–7  西十両2枚目
6–9  東十両6枚目
10–5  西十両筆頭
7–8  西十両3枚目
10–5 
1962年
(昭和37年) 西前頭13枚目
9–6  西前頭9枚目
6–9  西前頭10枚目
9–6  西前頭8枚目
8–7  西前頭7枚目
8–7  東前頭6枚目
4–11 
1963年
(昭和38年) 西前頭12枚目
6–9  西前頭15枚目
5–10  西十両5枚目
7–8  西十両6枚目
6–9  西十両8枚目
5–10  東十両16枚目
9–6 
1964年
(昭和39年) 西十両7枚目
9–6  東十両5枚目
9–6  西十両3枚目
6–9  東十両8枚目
7–8  東十両9枚目
10–5  東十両3枚目
優勝
13–2
1965年
(昭和40年) 東前頭13枚目
9–6  西前頭7枚目
休場[3]
0–0–15 東十両2枚目
5–10  東十両7枚目
7–8  西十両7枚目
8–7  東十両5枚目
6–9 
1966年
(昭和41年) 東十両7枚目
9–6  東十両2枚目
10–5  東前頭14枚目
9–6  西前頭9枚目
6–9  西前頭11枚目
8–7  西前頭6枚目
6–9 
1967年
(昭和42年) 東前頭10枚目
3–12  東十両5枚目
8–7  西十両6枚目
9–6  西十両2枚目
5–10  東十両9枚目
9–6  西十両5枚目
7–8 
1968年


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef