迷彩
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、兵器や衣服の模様について説明しています。

麻雀用語の「迷彩」については「麻雀の戦術」をご覧ください。

椎名林檎の楽曲「迷彩」については「加爾基 精液 栗ノ花」をご覧ください。

日本のダンスチームについては「迷彩 (ダンスチーム)」をご覧ください。

迷彩柄の戦闘服を着用、戦闘用ヘルメットに迷彩カバーをかぶせ、小銃と自身の肌にも迷彩塗装を施したインド軍兵士 モンゴルで行われた軍事演習において撮影された、多種多様な迷彩服を身に着けた世界各国の軍人 複数色による迷彩で塗装された9K33

迷彩(めいさい)は、敵の目を欺くためのカモフラージュ技術の1つで、表面に塗装染色などされた模様である。装備等への塗装による迷彩を迷彩塗装、迷彩が施された服(特に戦闘服)を迷彩服と言う。 雪原に合わせ偽装を施した韓国陸軍兵士とK200装甲兵員輸送車

カモフラージュの方法は多彩であるが、代表的なものが迷彩である。衣服に用いられた場合は迷彩服という。

複数の色によるパターンを描いたものを「分割迷彩」と呼び、単一の色で塗り込めてパターンを持たないものを「単色迷彩」と呼ぶ。

地上部隊の場合には濃緑・濃紺・茶色といった色が多く用いられる。該当地の植生・気象条件に合わせた数色のまだらや斑点・縞模様を用いることが多い。陸上車輌や低空における飛行が主任務となる軍用機も同様の迷彩を行う。背景が空や海となる、外洋の艦船や海洋国の航空機では、周囲の光景に溶け込むためにはもっと単純な迷彩となる。たとえば、光の当たる部分を暗色、陰になる部分を明色で塗り分けて陰影を相殺する事で視認性を低下させる「カウンターシェーディング」がある。

雪原地帯では白や薄い灰色または白一色、夜間作戦用の塗装などでは濃淡もない一色となることもあり、これらは一般的な意味での「迷彩」と呼ばれないこともあるが、「迷彩」とは「周囲の情景に紛れるような装い(であること)」を意味するため、これらも定義上は「迷彩(塗装)」である。

需要層は異なるが狩猟用途でも迷彩は重要である。猟場の植生に合わせた服を用意することで安易に獲物に目視されず、場所に特化することで軍用用途の多種の環境での迷彩効果以上の優れた効果を発揮することができる。なお、日本国内での使用は誤射防止で規定があるので注意が必要である
歴史

近代までの軍隊の塗装は、「隠れる」以前に「目立つ」事が重要であった。視覚的手段しか識別法が無い時代、敵味方の識別や自軍の強さ、また自軍内での士官の地位や権威を誇示するために、軍旗甲冑軍服には目を引く配色やデザインが求められた。まだ銃が発展途上であった近代以前の銃撃戦において、敵の前で「目立つ」ことは、決して「一方的に射撃されること」を意味していなかった。

近代軍服において初めて迷彩的効果を採用したのはイギリス軍1848年ペシャーワルでの戦いで、現地の色彩に合わせたカーキ色の軍服を用いたのが始まりだといわれている。ペルシャ語ではカーキは「土埃を被った茶色」を意味した。しかしながら、本格的にデザインされた迷彩模様を採用したのは第一次世界大戦中のフランス軍であったといわれている。1914年の末頃、フランス軍の砲兵隊勤務についた一人の画家が大砲と戦車の迷彩を考案したのがその始まりである。迷彩の効果が確認され、軍は1915年以降は偽装迷彩隊を結成させ、画家やデザイナーなどがその模様を考案するにあたって起用されたといわれている。その後、イギリス軍も1916年のはじめに同様の部隊を結成・組織するにいたった。

航空機による偵察力の向上、兵器の破壊力の向上に伴い、迷彩の重要性が増し、特に第二次世界大戦以降は各国の軍で一般的に取り入れられるようになった。最も成功した迷彩は冬季に降雪地帯で着用する白のオーバーオールであり、これは絶大な効果を発揮し、各国においてほとんど反対なく採用されている。
軍事利用
建造物 爆撃を避けるため迷彩が施された国会議事堂(撮影:1945年、石川光陽

建造物の迷彩は、地下に隠すことのできない建物や滑走路、貯水池、ガスタンクなどを空襲から守ることが主目的となる。

有名な例では、第二次世界大戦中にシアトル近郊にあったボーイング社の工場の巨大な平屋根が目立つので、上空から見ると戦略的価値のない住宅街にしか見えないよう明暗の色に細かく分けた分割迷彩をほどこされたことがある。

また、掩体壕特火点を民間建造物に偽装するために窓などを描きこんだ例もある。 民家に偽装された機関銃トーチカ(スイス)
車輛 単色迷彩を施したBM-21

第二次世界大戦で戦車を有効活用したナチス・ドイツでは、開戦時にはダークグレーが基本塗装色となっていたが、北アフリカ戦線において迷彩色として用いられたサンドイエローがヨーロッパ戦線においても有効である事が示され、後期には基本色がダークイエローに変更された経緯がある。更に前線で上に2色を重ねた3色迷彩が施され、また冬季の降雪時には上から石灰の水溶液などを塗りつけた冬季迷彩が施された。

アメリカ軍ベトナム戦争時期までオリーブドラブ単色だったが、1970年代にサンドブラウンを基本にした4色迷彩を採用した。しかしコストや標準化の都合により、80年代にはNATO軍と同じ3色迷彩に切り換えている。

湾岸戦争イラク戦争では現地に合わせたサンド系の塗装が施された。近年は市街戦に適した幾何学的パターンの迷彩も登場している。 デジタル迷彩を施したZTL-11
制服・戦闘服 ウッドランド迷彩の戦闘服を着用したリベリア軍兵士「戦闘服」も参照

第一次世界大戦開戦当初は派手な色の戦闘服を使用していた軍もあったものの、大戦中に各国ともカーキ色系などの目立たない色の軍服を使用するようになった。

現在のような迷彩服を初めて本格的に使用したのは、第二次世界大戦中のナチス・ドイツ武装親衛隊である。他に同時期のイタリア軍空挺部隊、アメリカ陸軍[注 1]海兵隊の一部にも用いられた。他にはイギリスソ連ハンガリーなどでも、空挺兵や斥候兵を中心に、迷彩柄(ヘルメットカバー、スモックやプルオーバー、パーカーなど)が使用されている。日本の陸軍空挺部隊義烈空挺隊)では、単色の戦闘服にで模様を描き込み迷彩効果を得ようとした事例がある。

近年は、コンピューターを使って効果の高い配色を決めたり、細かいドットによって模様を構成するデジタル迷彩やさまざま地形での効果を狙った迷彩(UCPマルチカムなど)が増えつつある。また、対テロ市街戦用には灰色や白(ビルの色に溶け込むため)を基調とした幾何学迷彩(アーバンカモ、都市迷彩)が使用される。 アメリカ海兵隊のウッドランドMARPAT

なお、人間の視覚は同じパターンの繰り返しを不自然と感じるため、迷彩は同一形状部分が表れないように施すのがセオリーである。迷彩服として仕立てる場合、一般的なプリント染色パターンサイズでは1着の上に繰り返しが生じるため、特別な大判プリント型を必要とする点が高コストの一因となる。逆に言うと、素性のはっきりしない中古品などで迷彩柄にパターンの繰り返しが見られるようだと廉価な模造品の可能性が高いということになる。
航空機 ロシア空軍Mi-24 アメリカ陸軍UH-60軍用機の塗装」も参照


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:41 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef