迷宮_(同人サークル)
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百科事典に相応しくない内容の増大は歓迎されません。内容の整理をノートで検討しています。(2015年9月)
C101に参加した迷宮'22。サークル代表であり、コミックマーケット準備会初代代表でもある原田央男は、コロナ禍下における有料チケット制でのイベント開催に異論を呈してC100以降は欠席している[1]。その間、サークル代理人は堀内満里子が務めた[2]。(2022年〔令和4年〕12月31日に東京国際展示場の東展示棟にて撮影)

迷宮(めいきゅう、ラビリンス)は、1975年に結成された日本漫画批評集団である。漫画批評誌漫画新批評大系』を刊行するとともに、世界最大級の同人誌即売会コミックマーケット[3]や創作同人誌即売会『MGM(Manga Gallery & Market)』の創設母体となった。

現在はコミックマーケットからは分離している。ただし、創業者特権でサークル参加での抽選を永久免除されている(帳簿上は、コミックマーケット創設時に迷宮からの借金でまかない、それが現在でも残っている代償ということになっている)[4]
歴史

1975年4月、関西系の批評集団「構雄会」(同人誌名『漫画ジャーナル』)と関東にあった「CPS(コミック・プランニング・サービス)」(同人誌名『いちゃもん』)の中心メンバーが合流して新宿のマンモス喫茶店『カトレア』でグループを結成したのが全ての始まりである[5][6]

結成メンバーは亜庭じゅん原田央男(霜月たかなか)、米澤嘉博、高宮成河、式城京太郎の5人。亜庭と高宮が『漫画ジャーナル』、原田と式城が『いちゃもん』のメンバーであり、米澤は新グループ発足に当たって原田から勧誘されてメンバーとなった。この時点で主要メンバーの大半は大学を卒業して新社会人になっており、今後もファン活動を続けるかという岐路にあったが、新グループを結成して「延長戦」を戦うことを選択した。「延長戦」は原田がそれまでの活動で培ってきた人脈をフィールドとして始められ、亜庭がゲームを主導する形になっていった。

また全員がCOM世代であり、『COM』の自壊を目にしながら不満を口にするだけだった自分たちへの深刻な反省から自らを「運動体」と規定し[7]、まんがファンとしての「自分たちの場所」を作り出すことを目標として、漫画批評誌の発行、および新たな形でのイベント創出を2本柱とした。ちなみに亜庭じゅんが漫画批評誌『漫画新批評大系』の編集責任者、原田央男が同人誌即売会『コミックマーケット』の代表、米澤嘉博は両者のサポートという体制であった。後年原田が代表を辞任した後は、米澤がコミックマーケットの二代目代表となり、亜庭は創作同人誌即売会『MGM』を主催した[8]。全活動を一貫していたのは一介のまんがファンでしかないアマチュアに一体何ができるのかという意識だった[7][9]
漫画大会批判

迷宮の活動は先ず言葉を生み出す場所を作ることから始まった。漫画批評誌は亜庭じゅんを主筆とし、山上たつひこの『喜劇新思想大系』に倣い、誌名を『漫画新批評大系』とした。創刊準備号は日本SF大会を模した日本漫画大会に合わせて発行される手はずとなっていた。

ところが、『迷宮』同人の知人女性[10]が、漫画大会を批判したとの理由で参加を拒否される事件が起こった。批判内容は、漫画大会の警備員に「態度がおーへい」な人物がいたこと、そして「内容がつまらない」と評したことだったが、漫画大会の運営はこの批判に「開催目的にそぐわない意識を持つ者の参加は認められない」「委員の血と汗と涙に対する重大な屈辱」と主張した。

迷宮はこの事件を重く見て[11]、「漫画大会を告発する会」を結成し[12]、大会事務局に説明を求めると共に、漫画大会の内情を告発するレポートを発行した。さらに、抗議に対して黙殺を続ける漫画大会に見切りを付け、主催者を含めた全員が平等であることを原則とする新たなイベントの創出を急務と認識させた[13][14]
漫画新批評大系の刊行

『漫画新批評大系』創刊準備号は、自らを「運動体」とする亜庭の『マニア運動体論』をマニフェストとしてメインに据え、原田が萩尾望都研究会『モトのトモ』の主宰であったこともあり、山上と並んで同人に評価の高かった萩尾の『ポーの一族』のパロディ『ポルの一族』も掲載された。それは、パロディもまんがへの有効な批評の一つの形態だとする意識と共に、読者に受け入れられるために内容の硬さを冗談で緩和する目的だったが、「まんがで遊ぶ」ことの提示でもあった。この真面目と冗談の入り交じった誌風は最後まで維持されることになったが、同様の気分はコミックマーケットにも持ち込まれることになった[15]

青焼きコピーで発行された創刊準備号は漫画大会で約100部が完売し、さらに100人以上の予約購読者を得た[16]

批評誌を出すに当たって、批評の方法として、先行する世代の批評に見られた既存の価値や概念にまんがを沿わせる手法を排して、「まんがをまんがとして語る」こととし、従来の言葉に頼らない自前の言葉を作っていくことを方針とした[17]。漫画批評誌の主筆として亜庭じゅんは質量ともに並外れた筆力を示すと同時に編集者としての構想力を発揮し『漫画新批評大系』刊行の持続的な原動力となった。夏の創刊準備号に続いて秋の創刊号はほとんど全てのページを一人で埋め、周囲を驚かせたが、グループを結成したその年の冬に第3号まで刊行する爆発的な生産力を示し、更に周囲を驚嘆させた。

亜庭によって書かれた評論自体も他を圧倒した。まんがの歴史的な流れのなかでの作家の意味を示し、その作家の個々のまんがを繊細に読み解きながら作家の作品史を辿ることで浮かび上がる作家の微妙な変化を掬い上げ、作家と作品が身にまとう「スタイル」[18]と、それを読んでいる自分との間で揺れ動くまんがの意識を捉えようとした。意味論にも構造論にも偏らず、まんがの「スタイル」に身をさらす言葉は、読む者にとってまんがを新しく別な目によって再発見する快感を伴った「体験」だった。まんがを読み続けてきた蓄積を基にして日々目の前に現われる「いま」のまんがに寄り添うことで生まれる思考と言葉は、「まんがとはこんな風に読めるのだ」という個人的な切実さを伴ったレポートであり、「まんがとは読むに値するものだ」という読者へのメッセージでもあった。確信を伴ったこのメッセージは、変わっていくまんがを前にして大人の入り口で立ち止まっている読者に強い共感をもって迎えられ、批評誌としての『漫画新批評大系』への支持と信頼に繋がっていった[19][20][21][22]

亜庭じゅんを中心とした迷宮同人達の言葉は常に「まんがを読む自分とは」という問いを含んでいた[23]。それは後に「ぼくら語り」という揶揄を交えた評語により「世代的自閉」と「他の排除」として批判されることになるが、これらの批判に亜庭じゅんは既に「『ぼくら』はCOM世代でも全共闘世代でもない。


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