迷い家
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この項目では、伝承について説明しています。パソコンゲームについては「マヨヒガ (ゲーム)」を、アニメ作品については「迷家-マヨイガ-」をご覧ください。
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2016年4月)
遠野ふるさと村、迷い家をイメージした「マヨイガの森」の「マヨイガ橋」

迷い家(まよいが、マヨイガ、マヨヒガ)は、東北関東地方に伝わる、訪れた者に富をもたらすとされる山中の幻の家、あるいはその家を訪れた者についての伝承の名である。この伝承は、民俗学者・柳田國男が現在の岩手県土淵村(現・遠野市)出身の佐々木喜善から聞き書きした話を『遠野物語』(1910)の「六三」「六四」で紹介したことにより広く知られるところとなった[1]

『遠野物語』によれば、迷い家とは訪れた者に富貴を授ける不思議な家であり、訪れた者はその家から何か物品を持ち出してよいことになっている[2]。しかし誰もがその恩恵に与れるわけではなく、「六三」は無欲ゆえに富を授かった三浦家の妻の成功譚となり、「六四」は欲をもった村人を案内したせいで富を授かれなかった若者の失敗譚を描いている[3]

また語源や表記については、「マヨヒガ」とは遠野での呼称であることが『遠野物語』および佐々木喜善の著作「山奥の長者屋敷」(1923『中学世界』に掲載)に記されている[2]。これをもとに現在のさまざまな文献では現代仮名遣いに改めた「まよいが」や当て字の「迷い家」などと表記されている。
「迷い家」伝承

「迷い家」伝承の筋は柳田國男の『遠野物語』のテキストを元にしたものが多い。しかしその他にも『遠野物語』の情報提供者である佐々木喜善自身が綴ったテキストや、どちらにも取り上げられなかった地元の伝承など、細部の異なる話もまた存在している[4]
柳田國男の「迷い家」

現在よく知られるバリエーションは『遠野物語』の「迷い家」である。これは佐々木喜善から聞き書きされたものであるが、聞いたままの話ではなく、柳田により手を加えられた部分も少なからず存在する[5]
『遠野物語』

六三 小国の三浦某と云ふは村一の金持なり。今より二三代目の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍なりき。この妻ある日門(カド)の前を流るゝ小さき川に沿ひてを採りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。さてふと見れば立派なる黒き門(モン)の家あり。訝しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き多く遊べり。其庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多く居り、馬舎ありて馬多く居れども、一向に人は居らず。終に玄関より上がりたるに、その次の間には朱と黒との膳椀あまた取出したり。奥の坐敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。されども終に人影は無ければ、もしは山男の家では無いかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり。此事を人に語れども実と思う者も無かりしが、又或日我家のカドに出でゝ物を洗ひてありしに、川上より赤き椀一つ流れて来たり。あまり美しければ拾ひ上げたれど、之を食器に用ゐたらば汚しと人に叱られんかと思ひ、ケセネギツ(雑穀を収納する櫃)の中に起きてケセネを量る器と為したり。然るに此器にて量り始めてより、いつ迄経ちてもケセネ尽きず。家の者も之を怪しみて女に問ひたるとき、始めて川より拾ひ上げし由をば語りぬ。此家はこれより幸運に向ひ、終に今の三浦家と成れり。遠野にては山中の不思議なる家をマヨヒガと云ふ。マヨヒガに行き当りたる者は、必ず其家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でゝ来べきものなり。其人に授けんが為にかゝる家をば見する也。女が無慾にて何物をも盗み来ざりしが故に、この椀自ら流れて来たりしなるべしと云へり[6]

六四 金沢村は白望の麓、上閉伊郡の内にても殊に山奥にて、人の往来する者少なし。六七年前此村より栃内村の山崎なる某かゝが家に娘の聟を取りたり。此聟実家に行かんとして山路に迷ひ、又このマヨヒガに行き当たりぬ。家の有様、牛馬鶏の多きこと、花の紅白に咲きたりしことなど、すべて前の話の通りなり。同じく玄関に入りしに、膳椀を取出したる室あり。座敷に鉄瓶の湯たぎりて、今まさに茶を煮んとする所のやうに見え、どこか便所などのあたりに人が立ちて在るやうにも思はれたり。茫然として後には段々恐ろしくなり、引返して終に小国の村里に出でたり。小国にては此話を聞きて實とする者も無かりしが、山崎の方にてはそはマヨヒガなるべし、行きて膳椀の類を持ち来り長者にならんとて、聟殿を先に立てゝ人あまた之を求めに山の奥に入り、こゝに門ありきと云ふ処に来れども、眼にかゝるものも無く空しく帰り来りぬ。その聟も終に金持になりたりと云ふことを聞かず[7]
佐々木喜善の「迷い家」

『遠野物語』のほか佐々木喜善が自ら綴ったものもある。彼は「山奥の長者屋敷」(1923『中学世界』)、「隠れ里」(1931『聴耳草紙』)と題して二種の「迷い家」を発表している。これらはどちらも金沢村出身の若者を主人公にしていることから、『遠野物語』「六四」と同根の話であると思われる。しかしこちらの方が若者の人物像や迷い家に至るまでの描写が克明に描かれている[8]
「山奥の長者屋敷」『中学世界』


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