近鉄30000系電車
30000系登場時の姿(河内国分駅 - 安堂駅間)
基本情報
運用者近畿日本鉄道
製造所近畿車輛
製造年1978年 - 1985年
製造数15編成60両
運用開始1978年12月30日
主要諸元
編成4両編成 (MT比2M2T)
軌間1,435 mm
電気方式直流1,500 V
(架空電車線方式)
最高運転速度120 km/h
起動加速度2.5 km/h/s
減速度(常用)4.0 km/h/s
減速度(非常)4.5 km/h/s
車体長Mc車:20,800 mm
T車:20,500 mm
車体幅2,800 mm
全高4,150 mm
車体高Mc車:4,150 mm
T車:4,060 mm
車体普通鋼
台車近畿車輛 シュリーレン式KD-83・KD-83A
主電動機三菱電機 MB-3127-A
主電動機出力180 kW
駆動方式WNドライブ
歯車比3.81
制御方式抵抗制御
制動装置発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ HSC-D
抑速ブレーキ
保安装置近鉄型ATS
備考電算記号:V
第22回(1979年)ブルーリボン賞受賞車両
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近鉄30000系電車(きんてつ30000けいでんしゃ)は、近畿日本鉄道(近鉄)が保有している特急形車両である。建造費は1次車7編成(28両)で27億円[1]。
解説の便宜上、本項では大阪上本町・大阪難波向きの先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述する(例:モ30201以下4両編成=30201F)。そのほかに、両先頭車をMc車、中間2階建車をT車として記述し、大阪上本町に向かって右側を「山側」、左側を「海側」と記述する[注 1]。
概要近鉄各施設で使われていたビスタカーの旧シンボルマーク
当時の近鉄グループの象徴であった
1978年(昭和53年)、10100系「新ビスタカー」の後継として登場した。新幹線100系電車登場まで、日本で唯一の2階建て鉄道車両であった近鉄特急「ビスタカー」の3代目にあたる[注 2]。登場時は10100系との区別のため「ニュービスタカー」と呼ばれていたが[注 3]、「ニュー (New) 」「新」は同じ意味であり、1978年(昭和53年)12月の30000系誕生記念試乗券の広告ポスターにおいて、ビスタカー〔3世〕と称され、のちに「ビスタカーIII世」「ビスタIII世」と通称されるようになった。
デビュー間もない頃から南大阪線系統や湯の山線を除く特急運転区間で運用された[4]。
1988年の21000系「アーバンライナー」登場までは、近鉄(特急)のフラッグシップであり、CMでは12200系2両と併結した6両編成での映像が多く使われた。また、当時の国鉄監修時刻表の広告をはじめ[注 4]、近鉄各駅のパンフレット置場などに本系列のイラストやビスタカーのVマークが使われた。
1979年に鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞した[5]。
開発の経緯12400系
30000系のモデルとなったフロントデザイン
30000系の開発にあたり、登場の前年より調査が行なわれた[6]。これに関連し、12400系が30000系の構想を念頭に置きながらデザインされた。また、近鉄の赤尾取締役と池田車両部長(当時)が欧米を視察して実地調査を行なった。構想段階当初から伊勢志摩観光特急用として華やかさを持たせたい、そのために階上席を多く設置したい(当時の特急券発売システム上、1両あたり60名以上の定員が求められた)[7]という意向があり、そのため当初は全車ハイデッカー仕様で検討された。しかし、いざモックアップを制作したところ、フラットカーに乗っている感覚とあまり変わり映えがしないのではないか、との見解がもたれ、またハイデッカー車であっても階段は必要であることから、中途半端を嫌って純然たる2階建で設計することになった[8]。
10100系は、一部の先頭車両が非貫通構造であったことから他系列編成とは非貫通車寄りには連結できないために運用上の自由度が制限される問題があった[注 5]。また製造当時の運行上の中心であった名阪甲特急(ノンストップ特急)が東海道新幹線の開業によって衰退し、代わって伊勢志摩方面を中心とした停車駅が多い乙特急運用が増えたことから、10100系独特のちどり状の扉配置[注 6]に加えてダブルデッカー構造ゆえに人の動きが滞留して乗降の際に時間が掛かることも問題になった。それゆえ、30000系の先頭車は全車貫通扉式となり、扉配置も見直され、車内は伊勢志摩観光特急用にアレンジされた。 1978年12月デビュー当初から1999年11月まで存在した30000系オリジナルスタイル車両について解説する。 電算記号は当初NVであったが、翌1979年の10100系全廃後Vに変更された。 製造当時の特急車両の主力であった12200・12400系を基本とした。 10100系では連接構造を採用していたが、この方式では車長が短くなる関係上、編成定員が12200系等のボギー構造の車両と比較して少なく、運用面で不都合が発生していた。また、メンテナンスの上でも連節心皿の保守や工場内における編成および台車の分離組立工程に手間がかかる問題もあった。これらの諸問題をクリアすることに加え、2階客室のスペースを多く確保するため、30000系ではボギー構造を採用した[9]。それに伴って車体長も全車20,800 mmとされた。 電動車の車体は概ね前年に登場した12400系のデザインを踏襲したが、特急標識・前面行先表示器や尾灯・標識灯の形状は異なったものにしている。また、貫通路上部に2本の筋が入るようになった。この変更は12400系増備車である12410系、12600系、そして12410系の狭軌バージョンである南大阪線向け16010系に踏襲された。
オリジナル車(ビスタカーIII世)
電算記号(編成番号)
外観・車体構造Mc車とT車間の床面高さの違い(更新車)。付随車が50 mm高い。