近鉄10100系電車
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近鉄10100系電車
10100系 A編成
1978年 河内国分駅 - 安堂駅
基本情報
製造所近畿車輛
主要諸元
編成3両編成
軌間1,435 mm
電気方式直流 1,500V
架空電車線方式
最高運転速度110 km/h
設計最高速度170 km/h
起動加速度2.5 km/h/s
減速度(常用)4.0 km/h/s
減速度(非常)4.5 km/h/s
全長48,610 mm
車体幅2,800 mm
車体高3,600 mm
主電動機三菱電機 MB-3020D
主電動機出力125kW
駆動方式WNドライブ
歯車比3.85
編成出力1,000kW
制御装置抵抗制御
三菱電機 ABFM-178-15MDH
制動装置発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
抑速ブレーキ
保安装置近鉄型ATS
第3回(1960年ブルーリボン賞受賞車両
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(中)貫通型前頭部
(下)VISTA CAR サイドロゴ

近鉄10100系電車(きんてつ10100けいでんしゃ)とは、近畿日本鉄道(近鉄)が1959年から1963年にかけて製造した特急形車両の1系列である。

本項では解説の便宜上、上本町近鉄難波方先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述(例:モ10101以下3両編成=10101F)する。
登場までの経緯

近鉄では1952年1月の社内誌『ひかり』において次世代特急車の構想イラストを掲載するなど、このころから既に斬新な特急専用車についての構想を持っていたが、それが具現化するのは1958年である。日本国有鉄道(国鉄)が東海道本線カルダン駆動方式を用いた新性能の特急形車両である20系電車(後の151系)を登場させて「こだま」での運用を開始し、さらに同機構を採用した91系電車(後の153系)が東海道本線の急行・準急に投入されたため、名阪輸送で競合する近鉄は危機感を強めた。当時、名古屋線大阪線および山田線軌間線路幅)が異なっており(名古屋線は1,067mm狭軌、その他は1,435mmの標準軌[注 1])、名阪間を近鉄で移動するには両線が接続する伊勢中川駅での乗り換えを必要としていたが、国鉄の準急比叡」に対抗するためには、名古屋線を標準軌に改軌して直通運転を行い、さらに国鉄の特急電車をも上回る設備の特急車を導入する必要があった。

このため1958年、試作車的に10000系ビスタカー(ビスタI世)7両編成1本を製造して阪伊特急に投入した。その結果を受けて本格的な名阪特急用特急車として設計、製造されたのが本系列である。

なお、近鉄では名古屋線の改軌完成を1960年2月に予定しており、そのため本系列も元々はこのタイミングでデビューする予定であったが、1959年9月に発生した伊勢湾台風によって名古屋線はその多くが壊滅的な被害を受けた。しかし当時の近鉄社長であった佐伯勇はこれを逆手に取って改軌の前倒しを決断し、改軌完成および本系列の登場とも本来の予定より3か月前倒しされ、1959年12月12日となった[1]
概要

10000系の成果と反省を生かした量産型2階建て特急車で「ビスタカー」としては2世代目となるため、近鉄公式の通称は「新ビスタカー」である。30000系「ビスタカー」登場後は「ビスタII世」[注 2]と呼称されるようになる[注 3][注 4]
形式

モ10100形(制御電動車) - サ10200形(付随車) - モ10300形(制御電動車)による3両編成である。

他の特急車両との連結を考慮し、先頭車両は非貫通流線型と貫通型の2種類とされた。そのため本系列は3種類の編成が存在する。

宇治山田方先頭車(モ10300形)が貫通型→A編成(5編成)

上本町方先頭車(モ10100形)が貫通型→B編成(5編成)

両先頭車とも貫通型→C編成(8編成)

1959年に第1次車としてABC編成各4編成、翌1960年に第2次車AB編成各1編成とC編成2編成、1963年にC編成2編成の18編成54両全車が近鉄グループ近畿車輛で製造された。

第2次車製造時に各編成の番号を揃えるため以下の改番が行われている。
B編成


10105F→10109F

C編成


10109F→10113F

10110F→10114F

なお、上記編成の改番により以下の2編成が製造発注時と落成時の車両番号が変更された。

10113F(発注)→10105F(落成/A編成)

10114F(発注)→10110F(落成/B編成)

10100系営業運行開始時点の編成表大阪・京都発着編成
名古屋発着編成← 上本町宇治山田近畿日本名古屋
← 上本町・宇治山田近畿日本名古屋 →
形式モ10100形 (Mc)サ10200形 (T)モ10300形 (Mc)
搭載機器◇,CON,◇MG,CP
自重36.85t19.15t35.8t
定員6452(2階…36 1階…16)64
車内設備トイレ・電話室
車内販売控室


形式欄のMはMotorの略でモーター搭載車(電動車)、TはTrailerの略でモーターを搭載しない車(付随車)、Mcのcはcontrollerの略で運転台装備車(制御車)。

搭載機器欄のCONは制御装置、MGは補助電源装置、CPは電動空気圧縮機、◇はパンタグラフ。

編成定員は180名。

車体

10000系の設計を踏襲し、側窓を複層ガラスによる固定窓とする空調完備の全金属製準張殻構造車体である。

窓配置はモ10100・10300形がdD8、サ10200形が上下階とも側窓が5枚ずつの5/5D(d:乗務員扉、D:客用扉)で、客用扉は10000系の850mm幅4枚折り戸ではなく750mm幅の2枚折り戸とされ、側窓はいずれも1.5m幅の大窓とされた。車体幅は2,800mm、高さ方向の寸法はモ10100・10300形で屋根高さ3,600mm、床面高さ1,100mm、框高さと窓天地をともに750mmとし、以後12600系に至るまでの基準が確立された。

座席はサ10200形1階のみシートピッチ1,040mmの大型テーブルつき固定式クロスシートで、それ以外はシートピッチ920mmの2人掛け回転式クロスシートとし、いずれの座席にも2250系から継承されたシートラジオを装備したほか、車内には列車公衆電話冷水機を設置した。

サ10200形の2階席部分は快適性向上と収容力拡大を目的として、ドーム構造で2階席が2列+1列であった10000系に比して各部寸法を当時の車両限界の最大値ぎりぎりまで拡大することで、2階席を2列+2列構成としており、本来であれば建築限界に抵触する規格外仕様として許認可が得られないところを実際の建築物に影響がないことを前提として、運輸省(現・国土交通省)から特認を得ることで問題を解決した。10000系同様、スペースの制約上から網棚は未装備である[注 5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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