株式会社近鉄百貨店
Kintetsu Department Store CO.,Ltd.
種類株式会社
市場情報東証スタンダード 8244
2013年7月16日上場大証1部(廃止) 8244
1949年7月18日 - 2013年7月15日
本社所在地 日本
〒545-8545
大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋一丁目1番43号
あべのハルカス
設立1934年9月29日(株式会社丸物)(注1)
業種小売業
法人番号3120001098201
事業内容百貨店業
代表者代表取締役社長執行役員 秋田拓士
資本金150億円
売上高単体2,585億円
連結2,834億円
(2020年2月期)
営業利益単体36億円
連結45億円
(2020年2月期)
純利益単体25億円
連結32億円
(2020年2月期)
純資産単体348億円
連結388億円
(2020年2月末現在)
総資産単体1,200億円
連結1,305億円
(2020年2月末現在)
従業員数単体1,677名(2020年2月末現在)
決算期2月末日
主要株主近鉄グループホールディングス株式会社 63.12%
日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(近畿日本鉄道退職給付信託口) 3.57%
(2020年2月末現在)
主要子会社株式会社近鉄友の会
シュテルン近鉄
関係する人物中林仁一郎(丸物創業)
田多喜男(元・副社長)
佐野正幸 (元社員)
Ms.OOJA(元中部近鉄百貨店店員)
外部リンクwww.d-kintetsu.co.jp
特記事項:注1:2001年(平成13年)2月28日に株式会社京都近鉄百貨店が(旧)株式会社近鉄百貨店を吸収合併し現商号「株式会社近鉄百貨店」に変更した。創業は1920年(大正9年)1月1日の京都物産館。
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株式会社近鉄百貨店(きんてつひゃっかてん、英: Kintetsu Department Store CO.,Ltd.)は、日本の百貨店の一つ。近鉄グループの主要企業。本社・本店は大阪市阿倍野区阿倍野筋一丁目1番43号あべのハルカス(大阪阿部野橋駅直結)。
旧・丸物時代から続き大阪証券取引所第1部に上場。2013年7月16日に東京証券取引所第1部に上場した(証券コード8244)。 前身は、1920年に京都府京都市で創業した百貨店「丸物」(まるぶつ)をルーツとする旧京都近鉄百貨店と、近畿日本鉄道の直営百貨店部門から分離し発展した旧近鉄百貨店に分かれる。系列の近畿日本鉄道(近鉄)は三菱グループと密接な関係を持つが、近鉄百貨店は大輪会の会員企業である[1][注 1]。 旧京都近鉄百貨店の前身・丸物は、中林仁一郎によって創業された。創業時は「京都物産館」という名前だったが、そのマーク(○の中に物産館の「物」)と他地域への出店がきっかけで、1931年に「丸物」に改称した。最盛期には東京・池袋駅ビル(現在のパルコ本館)にも東京丸物を出店するなど全国展開していた。 仁一郎の死後は長男・中林仁良が社長に就任するが、伊藤忠商事との資本提携に失敗するなど経営が悪化した。このため、1966年4月に近畿日本鉄道の資本参加を受けて近鉄グループ入りする。近畿日本鉄道百貨店部出身の橋本達吉が協力して経営再建に取り組み、京都本店と岐阜店の2店のみが残った。しかし、1977年5月27日に中林仁良が会長、橋本達吉が社長となると同時に、社名・両店名とも「丸物」から近鉄グループの一員と示す京都近鉄百貨店に変更している[注 2]。 なお、1975年(昭和50年)に近鉄流通グループの別会社として出店したひらかた丸物(社名は「枚方丸物」)は枚方近鉄百貨店に改称後、1998年に近鉄百貨店に吸収合併され、枚方店となった。また、1997年(平成9年)にも近鉄百貨店との共同出資で草津近鉄百貨店を草津駅前に出店し、京都店・岐阜店と一体的に運営した。 しかし、京都店は増床などの対策をとったものの、ジェイアール京都伊勢丹の開業で業績が悪化した。このため、郊外型商業施設や名古屋市内の百貨店との競合に負けて10年連続で赤字決算だった岐阜店は存続する余裕がないとして1999年(平成11年)9月30日に閉鎖した一方、残った京都店を複合商業施設「プラッツ近鉄」に業態変更して、ジェイアール京都伊勢丹との共存を図った。 旧近鉄百貨店は、近畿日本鉄道の前身である大阪電気軌道(大軌)の直営で開業した上本町店と、旧大阪鉄道の子会社で開店した阿倍野店を基幹としている。 1972年(昭和47年)3月14日に奈良店を開業後、同年6月1日には近畿日本鉄道の百貨店部から独立して株式会社近鉄百貨店となった。 近畿日本鉄道の直営だった百貨店部門とは別に、1960年(昭和35年)6月15日には四日市近鉄百貨店を開業したほか、大分県別府市で1958年(昭和33年)開業の中村百貨店を買収して1960年(昭和35年)9月に別府近鉄会館として開業した別府近鉄百貨店、1960年(昭和35年)4月開業の和歌山近鉄ストアを3年後に百貨店化した和歌山近鉄百貨店や1962年(昭和37年)9月2日開業に合わせて出資した近鉄松下百貨店といった別会社方式で沿線以外への進出を行っていた。 これらの出店に続いて、1974年(昭和49年)5月には同様に首都圏第1号店として東京・吉祥寺に東京近鉄百貨店(1983年直営化)を出店している。吉祥寺は都心ではないが、情報化の進む東京を人材育成の拠点として活用するとともに、首都圏でのさらなる出店も検討した[2]。また、同月には子会社が運営するファッション・雑貨の専門店「シェトワ」も原宿の1号店がオープンした。こちらは、以降、新宿サブナード地下街、京都朝日会館などに店舗を増やしていった。 1977年(昭和52年)に丸物が京都近鉄百貨店と改称して以降、当社を中心に各百貨店や近商ストアを合わせて近鉄流通グループと呼ばれるようになった。赤字でグループの足を引っ張った東京近鉄百貨店や「丸物」名義の「ひらかた丸物」として開業した枚方近鉄百貨店も1982年2月期には経常黒字に転換するめどが立ち[3]、ニチイ(後のマイカル)やジャスコの近鉄沿線への出店に対抗するため、事業拡大を狙うことになった。このころから資金調達のために株式上場がうわさされ[3]、当社も林修社長のころから目標とはしていたが[2]、20世紀中には実現することはなく、東武百貨店や小田急百貨店と並び、非上場で資本的には電鉄の完全子会社といった状態が続いた。
概要
旧京都近鉄百貨店詳細は「丸物」および「丸物#京都近鉄百貨店」を参照
旧近鉄百貨店上本町駅の大軌百貨店(当時)
多店舗化