近鉄東信貴鋼索線
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東信貴鋼索線
さよなら運転(1983年8月29日信貴山下駅)
基本情報
通称東信貴ケーブル
現況廃止
日本
所在地奈良県生駒郡三郷町
種類鋼索鉄道(単線2両交走式)
起点信貴山下駅
終点信貴山駅
駅数2駅
開業1922年5月16日
廃止1983年9月1日
所有者近畿日本鉄道
運営者近畿日本鉄道
使用車両コ9形
路線諸元
路線距離1.7 km
軌間1,067 mm
線路数単線
最大勾配217
高低差231 m
最高速度2.83 m/s
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停車場・施設・接続路線
凡例


生駒線


0.0信貴山下 標高 42 m






1.7信貴山 標高 273 m

東信貴鋼索線(ひがししぎこうさくせん)は、奈良県生駒郡三郷町近鉄生駒線信貴山下駅から、信貴山朝護孫子寺の入口である信貴山駅までを結んでいた近畿日本鉄道(近鉄)の鋼索鉄道(ケーブルカー)線。
路線データ

路線距離(
営業キロ):1.7km

方式:単線2両交走式

軌間:1067mm

駅数:2駅(起終点駅含む)

勾配:最大217(約12°14)、平均125‰

概要信貴山下駅前に展示されている「コ9」形車両

生駒線の前身となる信貴生駒電気鉄道が、生駒線と接続して関西本線王寺駅から信貴山へ東側より入るルートを確立するために開業したが、1930年に近鉄の前身である大阪電気軌道(大軌)とその子会社の信貴山急行電鉄が現在の信貴線西信貴鋼索線を開業させると、そちらの方が大阪市からは至便なルートとなったことにより、乗客は減少した。その後、近鉄に統合された後も細々と輸送を行っていたが、周辺が大阪市のベッドタウンとして住宅化されると路線が道路整備の支障となり、乗客もさらに減少していたことから、1983年に全廃された。

運賃は大人片道350円(1983年当時。他線区の駅から信貴山駅までの運賃は、信貴山下駅までの運賃に350円を合算した金額)であった。
運行形態

1983年当時

運行本数:終日約20分毎、1日42往復

所要時間:10分00秒

車両
諸元
[1]


車両形式:コ9形

車両番号:9(赤色塗装)、10(青色塗装)[2]

最大寸法:長さ10,380mm×幅2,405mm×高さ4,075mm

定員:116名(うち座席28名、クロスシートとロングシートが半々)

自重:10.0トン

制動装置:自動及び手用制動機

集電装置:パンタグラフ2個

勾配:1:8

製造年:1933年(昭和8年)

製造所:藤永田造船所

歴史

1922年(大正11年)5月16日 信貴生駒電気鉄道により、山下(後、信貴山下) - 信貴山間開業

1964年(昭和39年)10月1日 近畿日本鉄道(近鉄)に合併され、同社の東信貴鋼索線となる

1983年(昭和58年)9月1日 全線廃止

駅一覧

全駅、奈良県生駒郡三郷町に所在。

駅名営業キロ接続路線
信貴山下駅0.0近畿日本鉄道:生駒線
信貴山駅1.7

輸送実績

年度旅客輸送人員(人)貨物量(トン)
1936257,918218
193726,107151
1939299,280229
1941363,178260
1943310,373274
1945350,622545
1949284,137253
1952321,353180
1958281千37
1963289千0


鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道軌道統計年報、私鉄統計年報各年度版

1935年以前は鉄道線と合算、近鉄合併後は鋼索線合算のため省略

廃止後

当線廃止後、跡地の多くは道路用地に転用された[3]。麓側(信貴山下駅側)から約700mの路盤は、並行する道路の拡幅用地に転用された。その山側に続く約200mは、1986年に開校した信貴ケ丘高等学校(現・西和清陵高等学校)の用地の一部に取り込まれた。山側(信貴山駅側)の約800mは、枕木などが残されたまま遊歩道となった。信貴山下駅の鋼索線ホームは廃止後も残されていたが、1995年頃の駅舎改築に伴って撤去された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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