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『ロトとその娘たち』サミュエル・ウッドフォード画
近親相姦(きんしんそうかん)は、近い親族関係にある者同士による性的行為である。日本語辞書や文学などの分野ではこの用語が用いられることが多い。英語では近親族の関係にある者によるセックスをインセスト(incest)と言う。近親相姦が相互に同意する2人の成人の間でされる場合のみを意味する言葉として、同意近親相姦(Consanguinamory)という表現がある[1]
近親相姦は人類の多くの文化で禁忌扱いされ、この現象のことをインセスト・タブーと呼ぶ。近親者間の性的行為は異性間、同性間を問わず発生し、また大人と子供、子供同士、大人同士のいずれも起こるが、その親族範囲や何をもって性的行為とみなすかに関しては文化的差異が大きく、法的に近親間の同意の上の性的行為を犯罪として裁くか否かに関しても国家間で対応が分かれている。日本では未成年者に手を出した場合は年上側が合意があっても処罰対象[注釈 1]となるが、成人同士の合意のある近親相姦は、同性愛と同じで処罰対象にはなっていないものの結婚は認められてはいない。しかし、同性愛の異端化・刑事罰を廃止したキリスト教圏の内、同性婚の導入がされている西欧では、成人している兄弟姉妹など親族間の近親相姦だけでなく、「当人らが成人かつ相互に愛しあっている場合」は、近親婚という法的関係もかつて同じように異端として処罰対象としていたが合法化された同性愛のように認めるべきとの議論が起きている[1]。ドイツ連邦共和国では近親相姦を罰する禁止法があるが、相互に愛しあっている二人を処罰する制度は廃止すべきとの議論が起きている[2][1]。
なお、近い親族関係にある者による婚姻のことは近親婚と呼び、関連して扱われることはあるが近親相姦とは異なる概念であり、近親相姦を違法化している法域においては、近親相姦罪の対象となる近親の範囲が近親婚の定義する近親の範囲と異なっている場合がある。下側の年齢次第では、臨床心理学などの分野で児童虐待問題で扱われる。この場合は近親姦(きんしんかん)と呼ばれることも多い。
法律「近親相姦の合法性」も参照
刑罰規定詳細は「近親相姦の合法性」および「近親相姦罪」を参照
人類社会の大部分においてインセスト・タブーというものがあり、法律上で近親相姦に刑罰規定を設けている国もある。しかし、成人の近親者間が合意の上で行っている性行為を犯罪として罰することは被害者なき犯罪であるという指摘があり[3]、身体的もしくは心理的な強要を伴わない場合においては、単に道徳的な理由だけで成立している近親相姦法は撤廃されるべきではないかという動きが起こった。
成人同士の合意の上での近親相姦を合法としている主な国には日本、中華人民共和国[4]、ロシア[4]、トルコ[4]、スペイン[4]、オランダ[4]、イスラエル[4]、コートジボワール[4]、インド[5]、アルゼンチン[6]、ベルギー、ポルトガル、ルクセンブルク、ブラジルがある。ただし、イスラエルは保護者に関しては別に法律を制定しており、直系子孫や被後見者等との関係を持つ場合は相手が21歳以上であることが必要で、20歳以下では合法とならない。
日本「不同意性交等罪#監護者性交等」も参照
日本国内において、暴行や脅迫を伴わない近親相姦に関する刑罰規定には、さまざまな例がある。日本の律令では、八虐で尊属及び近親者に対する罪として悪逆[注釈 2]・不道・不孝を定め、これらを犯罪行為として禁止していたが、近親相姦の禁止は謳われていない。京都朝廷の格式としては927年に完成された延喜式で述べられている規定で、国つ罪として母及び子との近親相姦が禁止された。江戸幕府の規定においては、1742年の「公事方御定書」では養母、養娘、姑と密通した場合は両者ともにさらし首、姉妹、叔母、姪の場合は両者ともに遠国送りにした上で非人扱いとすると定めた(母子・父子は論外であった模様)[7]。なお、規定上は兄弟姉妹間の密通は非人手下であって死刑ではなかったが、19世紀初頭の記録として、仙台城下で許嫁がいる衣服商の娘が兄と通じたとして兄妹もろとも磔で処刑されたという事例も存在している[8]。 近代日本では1873年6月13日に制定された改定律例においては親族相姦の規定があったが、1881年をもって廃止された。刑法に盛り込まれなかった理由は、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードが「近親相姦概念は道徳的観念の限りにおいて有効である」と反対したためである[9]。現在の日本では、成人の近親者同士の合意に基づく性的関係についての刑罰規定は存在しない。1947年8月11日の第1回国会司法委員会公聴会では小川友三が日本において近親相姦を違法化していないのは問題があると主張したが、牧野英一は、外国で近親相姦罪が支持される背景には宗教上の問題がある件を挙げ反論している[10]。 また、廃止前の1873年(明治6年)に15歳以下を理由に35円[11](現在の価値で70万円)[12]の収贖(刑に服する代わりに,金銭を納めて罪過を贖<あがな>うこと[13])に刑を換えられた娘[14]以外の5人が、近親相姦により終身懲役の判決が下された記録がある(娘の内1人は、日本で初めて1873年(明治6年)に刑罰の1つとして新設された終身懲役[無期懲役] の判決が下された女性であり、神奈川県が司法省(現法務省)に伺いを出した時は、父娘共に梟首(獄門)するよう求めていた[15]。なお、1873年(明治6年)に終身懲役の判決が下された女性全員が、父との近親相姦を理由に下されている。)[16][17][18] 改正刑法草案で「被保護者の姦淫」についての規定を新設する動きもあったが[19]、日本弁護士連合会は1989年にまとめた「親権をめぐる法的諸問題と提言」で、家庭内のことに警察が介入することで余計な問題が引き起こされるのではということを理由の一つに挙げ、基本的にこの動きに反対する姿勢をとったりもした[20]。
近代以降