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このえ としあき
近衛 敏明
『西鶴一代女』(右は田中絹代)
本名柿崎 敏一
別名義近江 敏明
生年月日 (1911-07-03) 1911年7月3日
没年月日不詳年
出生地 日本・北海道空知郡岩見沢町(現在の同道岩見沢市)
職業俳優
ジャンル劇映画(時代劇・現代劇、サイレント映画・トーキー)、テレビドラマ
活動期間1934年 - 1969年
主な作品
『会社員閣下』
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近衛 敏明(このえ としあき、1911年7月3日 - 没年不明)は、日本の俳優。北海道岩見沢市出身。本名は柿崎 敏一、旧芸名は近江敏明。趣味は音楽鑑賞。 早稲田大学経済学部卒業。 1934年、松竹蒲田撮影所に入り、同年の『会社員閣下』で主演する。誠実な青年役で注目を集めた。また、松竹の看板スターだったが、1935年に松竹を退社した藤井貢が主演していた『若旦那』シリーズに藤井の跡を継いで主演した。1930年代半ばから清水宏監督などのメロドラマで主役を演じたが、次第に脇役に回っていった。本人も「脇役のほうに持ち味があると自他ともに認めた」と語っている。1937年頃に上原謙、夏川大二郎、徳大寺伸と第八芸術(=映画)にちなんだ研究会「8クラブ」を結成し、毎月、演劇や音楽関係の有識者を呼んで、講演会を開いていた。戦中は『迎春花』『サヨンの鐘』では李香蘭の相手役として共演している。 戦後は、小太りな体と黒縁眼鏡が特徴の脇役俳優として活躍した。大映、松竹の所属を経て、フリーとなる。1958年頃から新東宝の映画に出演し、石井輝男監督の作品などで腹黒い好色漢などの悪役を演じた。新東宝の倒産後はテレビドラマでも活躍した。
来歴・人物
出演作品
映画『居候は高鼾』(1939年)左から二番目。左は大山健二、右から日守新一、夏川大二郎、高峰三枝子。
会社員閣下(1934年、松竹)
大学の若旦那・日本晴れ(1935年、松竹) - 山下
若旦那 春爛漫(1935年、松竹) - 百太郎
永久の愛(1935年、松竹) - 藤木
若旦那 百万石(1936年、松竹) - 万太郎
大学よいとこ(1936年、松竹) - 大学生藤木
浅草の灯(1937年、松竹) - 仁村
按摩と女(1938年、松竹) - ハイキングの学生
純情二重奏(1939年、松竹) - その夫
西住戦車長伝(1940年、松竹) - 高梨中隊長
みかへりの塔(1941年、松竹) - 水野先生
戸田家の兄妹(1941年、松竹) - 夫雨宮
歌女おぼえ書(1941年、松竹) - 新家の旦那
愛国の花(1942年、松竹) - 軍医
迎春花(1942年、満映) - 村川武雄
サヨンの鐘(1943年、松竹) - 武田先生
王将(1948年、大映) - 後援者幹事中浜
痴人の愛(1949年、大映) - 杉本
源氏物語(1951年、大映) - 左馬頭
阿波狸屋敷(1952年、大映) - 高須の隠元
西鶴一代女(1952年、新東宝) - 松平晴隆
大佛開眼(1952年、大映) - 吉備ノ真備
西陣の姉妹(1952年、大映) - 横山岩次
地獄門(1953年、大映) - 真澄
凸凹太閤記(1953年、大映) - 足軽市助