近藤譲
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近藤 譲
生誕 (1947-10-29)
1947年10月29日(76歳)
出身地 日本 東京都
学歴東京藝術大学
ジャンルクラシック音楽
職業作曲家
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近藤 譲(こんどう じょう、Jo Kondo 1947年10月28日 - )は、日本現代音楽作曲家音楽評論家東京都出身。
略歴

1947年、東京に生まれる。一切の自作が何もなかった[1]ため、最初に長谷川良夫へ、後に南弘明に師事[2]1972年東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業。ロックフェラー三世財団フェローシップにより、1977年から1978年にかけてニューヨークに滞在[3]1979年カナダ政府の招きにより、ヴィクトリア大学にて講義。東京芸術大学エリザベト音楽大学お茶の水女子大学の各所で教鞭をとり、川島素晴ペーター・ガーンほかの弟子を育てた。1986年イギリス政府フェローシップによりロンドンに滞在。ケルン大学の音楽学研究室で故シュトックハウゼンに代わって現代音楽の講義の招待を受ける。1987年アメリカ合衆国コネチカット州ハートフォード大学音楽学部にて、レジデントアーティスト。『音楽の零度――ジョン・ケージの世界』(朝日出版社1980年 ISBN 4255800480)などの翻訳もこなし、アメリカの学術雑誌『コンテンポラリー・ミュージック・レヴュー』のアシスタント編集を務める。ドナウエッシンゲン音楽祭作曲夏期講習会においても講義を行う。2000年、ダーティントン国際夏期音楽学校の作曲クラスを受け持ちガウデアムス国際作曲賞の審査[4]2005年、第3回ソウル国際作曲コンクールの審査員として韓国に渡り[5]、自作を語るセミナーを行った。お茶の水女子大学では一時期、副学長へ選出。2013年3月17日、お茶の水女子大学で最終講義とピアノコンサートが行われた。現在は昭和音楽大学で教鞭をとる。

これまでに160曲以上の作品を出版[6][7]しており、編成はソロからオーケストラ、合唱、邦楽、舞台作品に渡る。その多くは、日本、北アメリカ、ヨーロッパにて演奏されており、録音はhat(now)ART、ALM、フォンテック、ドイツ・グラモフォン、Wergoなどのレーベルから出版されている。ヴィッテン現代音楽祭などをはじめとする多くの国際音楽祭に出品し、ロンドン・シンフォニエッタフィルハーモニア管弦楽団NHK交響楽団アルディッティ弦楽四重奏団など様々な団体に演奏され、アイヴズ・アンサンブル、ヌイウ・アンサンブル、尾高忠明高橋アキなどから作品の委嘱を受けている。また、アンサンブル・ムジカ・プラクティカを組織し、多くの現代音楽を紹介[8][注釈 1]した。NHK-FM では1980年代から長年海外現代音楽特集の解説を務めている。ポール・ズコフスキーとは交流も深く、アメリカからリリースされているCD(cp2 recordings)はズコフスキー生前の監修によるものである。近藤はこの世代の中では最も積極的に音盤の製作を重視している。現在はアンサンブル・ムジカ・プラクティカの後継となったアンサンブル・ノマド打楽器クインテットネクサス(英語版)、アンサンブル・ボワ、アンサンブル・ラール・ポール・ラール、東京現音計画、ヴォクスマーナほかの団体の委嘱を受けて作曲している。

1979年以降、近藤の音楽に対する美学や作曲の構想に基づいた著作が出版され続けている[9]。『線の音楽』(朝日出版社 エピステーメー叢書、1979年)は前衛とポスト前衛を分け隔てた名著[10] とされ、同名のレコードがすでに発売されていたことも含めて話題となり、高橋悠治によるアルバム全体の評論が残された[11]


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