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こんどう こういち
近藤 紘一
生誕 (1940-11-17) 1940年11月17日
東京府
死没 (1986-01-27) 1986年1月27日(45歳没)
東京都
死因胃癌
墓地冨士霊園
出身校早稲田大学第一文学部仏文科
職業ジャーナリスト、作家
親近藤台五郎
栄誉大宅壮一ノンフィクション賞(1979年)
ボーン・上田記念国際記者賞(1980年)
中央公論新人賞(1984年)
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近藤 紘一(こんどう こういち、1940年(昭和15年)11月27日 - 1986年(昭和61年)1月27日)は、日本のジャーナリスト、作家。サンケイ新聞編集委員。サイゴン支局長として赴任した際にはベトナム戦争を取材し、サイゴン陥落を目撃した。東京府出身。 祖父、父と2代続いた医師の家の長男として東京大学医学部附属病院で生まれる[1]。父・台五郎は、東京女子医科大学教授などを務め、ファイバースコープの開発にも貢献した。 湘南・逗子で育ち、進学した神奈川県立湘南高等学校では、万葉集などの日本の古典やサルトルなどのフランス文学に親しんだ[2]、なかでも大河小説『チボー家の人々』に感銘を受け、早稲田大学仏文専修に入ったのも、訳者の山内義雄を慕っての選択だった[3]。 早大キャンパスで最初の妻となる元駐仏大使萩原徹(1906 - 79)の長女・浩子と出会う[3]。大学の同級生で2人を知る吉川精一(NHKアナウンサー)は、「浩子さんは、『洗練されたエレガントな女性』として際立っていましたね」と語り[3]、著作『月曜日のカーネーション』では近藤の死についても触れている[4]。
来歴・人物