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近藤 正臣
生年月日 (1942-02-15) 1942年2月15日(82歳)
出身地 日本・京都府京都市
身長172 cm
血液型O型
職業俳優
ジャンルテレビドラマ・舞台・映画
活動期間1960年代初期 -
配偶者一般女性
(1966年?2023年死別)
事務所シーズ・マネージメント
公式サイトオフィシャルプロフィール
主な作品
テレビドラマ
『柔道一直線』
『国盗り物語』
『黄金の日日』
『地の果てまで』
『水中花』
『必殺シリーズ』
『コラ!なんばしよっと』シリーズ
『太平記』
『瞳』
『龍馬伝』
『カーネーション』
『ごちそうさん』
『あさが来た』
『S -最後の警官- 』
『真田丸』映画
『懲役十八年』
『流れの譜』
『動脈列島』
『赤穂城断絶』
『S -最後の警官- 奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE』 舞台
『仮名手本忠臣蔵』
『アゲイン』
『ラ・カージュ・オ・フォール』
受賞
東京スポーツ映画大賞
助演男優賞
2016年『龍三と七人の子分たち』エランドール賞新人賞(1972年)
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近藤 正臣(こんどう まさおみ、1942年〈昭和17年〉2月15日 - )は、日本の俳優。シーズ・マネージメント所属。身長172cm(1972年3月)[1]。 京都市東山区(現在の山科区域)に生まれる。母親は元祇園の芸妓であった。父方の叔父に人間国宝で染付けの大家・近藤悠三(1902年 - 1985年)、曾祖父に幕末の尊王攘夷運動家の近藤正慎がいる[2]。清水寺の境内にある舌切茶屋は近藤正慎の子孫が営む茶屋である[2]。 2歳で父を亡くし[2]、河原町三条で小料理店を営む母の手一つで育てられる[2]。 京都府立洛東高等学校に入学[1]。演劇部に所属し[1]、ボクシングも習っていた。高校演劇コンクールでは、銀賞を受賞している。高校を卒業し、母親が一人で営んでいた小料理店を継ぐために大阪の吉兆で板前修業をする[2][3]。しかし、いわゆる伝統的日本料理界の厳しさに嫌気がさし[1]、3か月で辞めてアングラ劇団「ドラマ工房」を作り活動する[2][4]。 京都の松竹でエキストラをしていた20歳のころ、その端正なマスクと演技力を見た助監督たちに「大船(松竹大船撮影所)へ来ないか」と誘われて単身上京した。東京でエキストラをしていた1965年、新橋の喫茶店で、知り合いと打ち合わせをしていたその後の芸能事務所代表と初めて会い、簡単な紹介を受ける。1966年[2]、母校の体育教師と結婚し[2][注 1]、若くして子供(娘)をさずかる[注 1]。 事務所代表と出会ってから1年近くのち、『エロ事師たちより 人類学入門』の坂本スミ子の息子役を見つけられずにいた今村昌平に相談を受けた事務所代表が近藤を思い出し、京都に戻っていた近藤にすぐに連絡をとり、今村に会わせたのがデビューのきっかけとなる。
略歴