実業家の「近藤泰助」とは別人です。
近藤 大亮読売ジャイアンツ #30
2024年3月9日、京セラドーム大阪にて
基本情報
国籍 日本
出身地大阪府堺市堺区
生年月日 (1991-05-29) 1991年5月29日(32歳)
身長
体重177 cm
80 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2015年 ドラフト2位
初出場2016年3月26日
年俸4200万円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
浪速高等学校
大阪商業大学
パナソニック
オリックス・バファローズ (2016 - 2023)
読売ジャイアンツ (2024 - )
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獲得メダル
男子 野球
日本
アジア プロ野球チャンピオンシップ
金2017
近藤 大亮(こんどう たいすけ、1991年5月29日 - )は、大阪府堺市堺区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 堺市立錦綾小学校3年生のときに新浅香山ニュースターズで野球を始め[2]、4年生から投手を務めた[3]。堺市立浅香山中学校ではオール住之江(ヤングリーグ)でプレーし[3]、3年夏には全国大会に出場[2]。浪速高等学校では2年秋からエースを務め[2]、府ベスト8に入った[4]。3年夏は府ベスト16であり[3]、甲子園出場経験は無し[2]。 大阪商業大学への進学後は1年春から関西六大学野球のリーグ戦に登板したが[2]、3年春までは度重なる故障に苦しんだ[3]。ただ、ウエイトトレーニングに取り組むようになると、肩の痛みが癒えて球速もアップし、4年秋のリーグ戦では5勝0敗、リーグ2位の防御率1.18と圧巻の成績[3]でチームを42季ぶりの優勝に導き、最優秀投手に輝いた[5]。大学4年間ではリーグ戦通算13勝12敗[4]。その後の関西地区大学野球選手権では、関西学院大学との2回戦でノーヒットノーランを達成[6]。チームは同選手権初優勝を果たし、31年ぶり3度目の明治神宮大会への出場を決めた[3]。同大会でもチームは31年ぶりの白星を挙げた[7]。 大学卒業後にパナソニックへ入社すると、1年目から主要大会に登板し[2]、日本選手権でも3試合に登板[8]。2年目は夏に大阪ガスの補強選手として都市対抗に出場[9]。9月に開催された第27回BFAアジア選手権には日本代表として出場した[8]。 2015年10月22日に開催されたドラフト会議にて、オリックス・バファローズから2巡目で指名を受けた[10]。12月9日に契約金8000万円・年俸1200万円(いずれも金額は推定)で仮契約した[11]。背番号は20。なお、チームには同姓の近藤一樹が所属しているため、報道上の表記およびスコアボード上の表記は「近藤大」となる。 2016年は春季キャンプを二軍でスタートしたが[12]、2月下旬に一軍へ昇格すると[13]、吉田一将と山田修義が故障離脱中などのチーム事情もあって、開幕ローテーション候補として先発機会が与えられた[14]。オープン戦で結果を残すと[15]、開幕ローテーション入りを果たし、開幕2試合目の埼玉西武ライオンズ戦[16]でプロ初登板初先発。しかし、右肩に違和感を覚え、3イニングを投げ終えたところで降板となり[17]、3月27日に出場選手登録を抹消された[18]。精密検査の結果、右肩腱板炎と診断され、実戦復帰までは1か月を要する見込みであることが翌28日に球団から発表された[19]。しかし、1か月以上経っても復帰の目処が立たず[20]、実戦復帰は8月30日の二軍戦であった[21]。ルーキーイヤーの一軍登板は前述の1試合のみに終わり、シーズン終了後にはフェニックスリーグへ参加し[22]、中継ぎとして6試合・7イニングを無失点に抑えた[23]。オフに240万円減となる推定年俸960万円で契約を更改した[24]。なお、この年の7月に近藤一樹がトレードで東京ヤクルトスワローズへ移籍したことにより[25]、報道上の表記およびスコアボード上の表記が「近藤」となった。 2017年は春季キャンプを一軍でスタートし[26]、開幕ローテーション入りを目指していたものの、オープン戦では結果を残せかった[27]。また、開幕前[28]には右肩の違和感を訴えて離脱[29]。
経歴
プロ入り前
オリックス時代