近藤一樹
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近藤 一樹関メディベースボール学院 総合コーチ
東京ヤクルトスワローズ時代
(2016年8月23日 静岡草薙球場
基本情報
国籍 日本
出身地神奈川県相模原市
生年月日 (1983-07-08) 1983年7月8日(40歳)
身長
体重183 cm
80 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2001年 ドラフト7巡目
初出場NPB / 2003年10月7日
最終出場NPB / 2020年9月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


日本大学第三高等学校

大阪近鉄バファローズ (2002 - 2004)

オリックス・バファローズ (2005 - 2016)

東京ヤクルトスワローズ (2016 - 2020)

香川オリーブガイナーズ (2021 - 2022)

指導歴


香川オリーブガイナーズ (2021 - 2022)

関メディベースボール学院

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近藤 一樹(こんどう かずき、1983年7月8日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手投手)、プロ野球コーチ。右投右打。野球解説者
経歴
プロ入り前

小学3年の時、大野台アニマルズに入団。中学時代はボーイズリーグ「相模原ホワイトイーグルス」に所属。2年夏と3年春に全国大会出場。日大三高では3年生の時にエースとして内田和也千葉英貴都築克幸らと共に第73回選抜高等学校野球大会第83回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場。第83回全国選手権では同校の初優勝に貢献した。

2001年度ドラフト会議にて大阪近鉄バファローズから7巡目指名を受けて入団。なお、前述の内田、千葉、都築らも同年のドラフトで指名された。これは同じ高校の選手が同じ年のドラフトで指名を受けた史上最多タイ記録である[1]
近鉄時代
2002年

ウエスタン・リーグリリーフとして6試合12回1/3に登板
2003年

二軍で11試合26回に登板。チーム最終戦のオリックス・ブルーウェーブ戦で一軍初登板を果たした。
2004年

9月20日の対オリックス戦でプロ初先発・初勝利を記録。前年の1試合から11試合に登板数を増やし防御率1.08を記録した一方で16回2/3を投げて10四球、2暴投と入団時からの課題である制球難を克服できていないことも露呈した。シーズン終了後、球団合併による分配ドラフトオリックス・バファローズへ移籍。
オリックス時代オリックス時代
(2013年5月14日阪神甲子園球場
2005年

前年に比べ、一軍公式戦での投球回数が半減したが、フレッシュオールスターゲームにウエスタン・リーグ選抜の一員として出場した。同リーグの公式戦では、投球回数(82回2/3)と奪三振数でいずれもリーグ4位を記録。与四死球を30個にとどめる一方で、被安打、被本塁打、自責点はいずれも、リーグの規定投球回到達投手で最も悪かった。
2006年

一軍公式戦での登板機会がなく、ウエスタン・リーグ公式戦でも10試合(32投球回)の登板に終わった。
2007年

2年ぶりに一軍公式戦への登板を果たした。ウエスタン・リーグ公式戦には、21試合に登板すると104回1/3、75奪三振(いずれもリーグ2位)、防御率2.76を記録。また、9勝3敗という成績でリーグ最多勝と最高勝率を獲得した。5月2日の同リーグ・対広島東洋カープ戦で、9回二死まで1人の走者を許さず、27人目の打者・會澤翼も2ストライクまで追い込んだ。しかし、次の投球が會澤の頭部への危険球と判定されたため球審から退場処分を受けた。この処分によって近藤単独による完全試合達成の可能性が消滅したが、後を継いた山口和男中東直己を二塁へのゴロに抑えたため近藤と山口による継投ながらノーヒットノーランが成立した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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