近江町市場
[Wikipedia|▼Menu]
活気あふれる近江町市場近江町市場の鮮魚店

近江町市場(おうみちょういちば)は、石川県金沢市の中心部にある市場。主に生鮮食品などの食品生活雑貨を扱う小売店や飲食店など約170軒が商店街を形成している。

江戸時代享保6年(1721年)に始まり、金沢を城下町としていた加賀藩の御膳所だった[1]。名前の由来は諸説あるが、近江商人が作ったことによる[2]。地域によってはおみちょ(「お」にアクセント)と呼び親しまれている[2]

市街地再開発事業により、2009年4月16日に近江町いちば館が開業した(本項で説明)。
概要

国道157号などの起点となっている武蔵交差点(武蔵ヶ辻)の南東側一帯に位置し、繁華街香林坊からも比較的近い。約2.8haの敷地に約170店(メディアによっては約180店[3]や約200店[2]と異なっている)の商店・飲食店が軒を連ね、「金沢市民の台所」としても知られる[4]。石川県特産の加賀野菜や海産物を扱う店が多く、金沢市民だけでなく、金沢ならではの観光名所としても知られている。

各店を取引先とする金沢中央信用組合が所在している。市場全体は近隣の市姫神社を産土神(守り神)としている[1]

その一方で、2015年北陸新幹線の開業に伴い、観光客の増加や訪日外国人旅行者の増加により地元の利用者の減少や観光公害の問題も顕在化している[5][6]。市場側も観光客の増加に対応して、通信環境の改善[7]PayPay決済の導入[8][9]などを実施している。

近江町市場入口

市場内の八百屋

市場内の乾物店

市場内の鮮魚店

歴史
市場の形成

近江町市場形成以前は各地にあった市が、元禄3年(1690年)の大火をきっかけとして、享保6年(1721年)に近江町に集められたのが始まりとされている[10]

近江町には明治時代まで惣構があり、その外側に青果を扱う「青草辻市場」、その内側に鮮魚を扱う「近江町市場」があった[11]

江戸時代には加賀藩から許可を受けた棟取(とうどり)などの世話役から鑑札を受けた業者のみが商売を許されていた[12]。明治時代に営業が自由化されると鑑札は廃止された[12]。惣構も取り除かれ、さらに1904年(明治37年)6月3日の大火の後に直線道路が付けられ近江町の一帯は整備された[11]。同年8月16日に青果業者53人が石川県の許可を得て市場を開設したが、その標柱には「官許金澤青草辻市場」と書かれていた[11]大正時代には、市場の路面が金沢市内のアスファルト舗装第一号となった。太平洋戦争前には美術展や演芸(浄瑠璃万歳)も催された[1]

太平洋戦争直後にも闇市を取り締まるため一時的に鑑札制度が再導入された[1][12]

昭和30年代から平成まで建っていた標柱には「近江町」の文字も入り「官許金澤青草辻近江町市場」と書かれていた[11]
再開発事業近江町市場スカイビル口[13](再開発工事着工前の様子)
経緯

第二次世界大戦の戦災を免れた近江町市場は古くからの趣がある市場として地元の利用客だけでなく観光地としても多くの人が訪れてきた。しかし、アーケードや建物の老朽化が顕著になった他に、施設店舗の防災体制にも問題が出るようになり近江町市場の再開発事業が行われることになる。武蔵ヶ辻第四地区第一種市街地再開発事業として2007年に再開発事業に本格的に着手した。
概要

むさし交差点周辺の一角を解体し、地下1階・地上5階建ての再開発ビル(近江町いちば館)を2007年3月25日に着工。また、この再開発に合わせて、ビルに面する国道157号・国道159号を3-4mほど拡幅するため、村野藤吾が設計した北國銀行武蔵ヶ辻支店を現状より後方に約13m移動し、ビルと一体化させる工事にも着手した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:22 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef