この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2023年7月)
近江和田氏
.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}丸 に 隅立四つ目(まる に すみたて よつめ)
本姓清和源氏満政流?
宇多源氏佐々木庶流?
家祖不詳
近江和田氏(おうみわだし)は、日本の氏族。清和源氏満政流、あるいは宇多源氏佐々木氏を祖と称する。代々、近江国甲賀郡和田谷に住していた。戦国時代に和田惟政を輩出した。 惟政の父は和田惟助 この家系は鳥取藩家老を務めた一族。本姓は源氏、六孫王・源経基の子・満正を祖とする。(清和源氏)代々、近江国甲賀郡和田谷に住していた。池田氏との縁は和田八郎信維が天正10年(1582年)に池田恒興の客将となり、2300石を与えられたことから始まる。子・正信の代に正式な家臣となり、池田輝政に仕えて4600石が与えられた。 池田忠継に従って岡山に移ってからは家老職を務め、寛永9年(1632年)の鳥取転封後は着座家に列し、伯耆国河村郡に所領が与えられた。荒尾氏に次いで格式の高い家として厚遇された和田氏は、河村郡小鹿谷に陣屋を構え、松崎での自分手政治が許された。 4代・三信 ※ 太線は実子、細線は養子。 和田信維(通称・八郎、実名については秀三、長惟とも) ┣━━┳━━━━━━━━━┳━━━━┓ 正信 某
和田氏 (室町幕府幕臣 → 徳川幕府旗本)
和田氏 (鳥取藩家老家)
系図
参考文献
鳥取県『鳥取藩史 第一巻 世家・藩士列伝』(1969年(昭和44年))
鳥取県『鳥取県史 第3巻 近世政治』(1979年(昭和54年))
鳥取県『鳥取県史 第6巻 近世資料』(1974年(昭和49年))
関連項目
松崎陣屋(小鹿谷陣屋、鳥取県東伯郡湯梨浜町)