近代から現代にかけての世界の一体化
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世界の一体化

近世
大航海と征服・植民地化の時代
近世から近代にかけて
イギリス覇権の確立
近代
二重革命とパックス・ブリタニカ
近代から現代にかけて
2度の大戦と米国の覇権
現代
多極化の時代
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近代から現代にかけての世界の一体化(きんだいからげんだいにかけてのせかいのいったいか)では、第一次世界大戦勃発から超大国としてのアメリカ合衆国ソビエト連邦の台頭、第二次世界大戦とヨーロッパ諸国の没落、アジア・アフリカ諸国の独立を取り扱う。

第一次世界大戦の終結において、初めて、民族名あるいは地域名を国家名に名乗らないソビエト連邦が結成された。また、戦場とならなかったアメリカ合衆国は第一次世界大戦を契機にヨーロッパ諸国に対して債権国へと成長を遂げた。

民族自決の原則がドイツ帝国ロシア帝国オーストリア=ハンガリー帝国の旧領で適用されたが、東欧諸国の独立はソビエト連邦と西ヨーロッパ諸国との間の緩衝国としての役割を持ったにすぎず、独立した各国がそれぞれ民族問題を内包する結果となった。加えて、アジアやアフリカでは民族自決の原則が適用されず、多くの国の独立が第二次世界大戦終了を待たなければならなかった。

第二次世界大戦で勝利したアメリカとソ連は、全世界で冷戦と呼ばれる衝突を繰り返した。その中で展開されたベトナム戦争において、アメリカは経済的に日本西ドイツの台頭を許す結果となった。1967年ヨーロッパ共同体(EC)結成を契機に、西側諸国は米欧日の三極構造へと徐々に変遷していく。また、ワルシャワ条約機構を中心に東側諸国を衛星国化したソ連もまた、中華人民共和国ユーゴスラビアがソ連に対して離反する動きを見せ始めた時代であった。

第二次世界大戦以降、かつての植民地の多くが政治的に独立を達成していった。そのなかで、西側諸国の枠組みの中で、東南アジア諸国連合(ASEAN)が1967年に結成されるなど、各地域で政治的のみならず、経済的自立を模索する時代へと突入していった。
第一次世界大戦とパックス・ブリタニカの終焉
第一次世界大戦とロシア革命詳細は「バルカン戦争」、「第一次世界大戦」、「ロシア革命」、および「ドイツ革命」を参照

1908年オスマン帝国青年トルコ党の革命がおこると、ブルガリアはこれを機に独立を宣言し、オーストリアはボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合した。ここはかねてよりセルビアの望んでいた土地だった。ロシアは1912年ブルガリア、セルビア、モンテネグロギリシアバルカン同盟に組織し、第2次モロッコ事件(上述)と伊土戦争に苦しむオスマン帝国に対し宣戦布告させた(第一次バルカン戦争)。オスマン帝国は敗北したが、その戦後処理において、ブルガリアとセルビア・ギリシアの間に対立が生じ、第二次バルカン戦争が起こってブルガリアは、オスマンとともに三国同盟側に接近した。こうして、スラヴゲルマンギリシアラテントルコなど諸民族がぶつかりあうバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」となった。

1914年サラエヴォ事件によって、オーストリア皇太子が暗殺された。このような事態を予期していたドイツはただちに小モルトケによってシュリーフェン・プランが実行にうつされ、ベルギー中立を犯してフランスに侵入したが、マルヌ会戦に破れて戦争は長期化した。ブルガリアとトルコはドイツ側に立ったが、「未回収のイタリア」問題でオーストリアと対立していたイタリアは1915年、連合国側に立って参戦した。日本は日英同盟を根拠に在中国ドイツ基地を攻撃し、ドイツ権益を継承、次いで中国に二十一か条の要求を行った。

開戦3年目には航空機戦車毒ガスなどの近代兵器が登場し、ヴェルダンの要塞をめぐって死者25万人を出す激しい攻防戦(ヴェルダンの戦い)が展開された。当初、すぐに終わるであろうと思われていた戦争は長期化し、国家総力戦となって各国民を苦しめた。

1917年にはロシア革命が起こり、ニコライ2世は退位した。二重権力の状態を経て11月には社会主義革命十月革命)が起こり、ニコライは処刑され、ソヴィエトは翌年ドイツと単独講和を結んだ(ブレスト=リトフスク条約)。窮地においこまれたドイツも、イギリスの制海権を打破するため、1917年の初めに無制限潜水艦作戦を宣言したが、これはアメリカ合衆国を決定的に連合国側に立たせることとなり、17年4月にはアメリカが参戦、200万人以上の兵士をヨーロッパに投じ、ついで中南米諸国や中国もドイツに対し参戦した。

1918年にはいると、ドイツでは物資の不足が深刻化し、国民の不満は高まってきた。同年秋以降、同盟国がつぎつぎに降伏し、ドイツは敗色濃厚となった。こうしたなか、11月にはキール軍港の水兵の反乱を機にドイツ革命がおこり、ドイツ共和国(ヴァイマル共和政)が成立した。ドイツ社会民主党を主体とする内閣は同月、連合国と休戦条約をむすび、ここに莫大な犠牲をだした大戦は終結した。
パックス・ブリタニカの終焉詳細は「パックス・ブリタニカ」および「太陽の沈まない国」を参照

在野の歴史家ジャン・モリス(英語版)は、「パックス・ブリタニカは1914年8月に終わりを告げた」と述べている。それに対し、中西輝政は、「パックス・ブリタニカ」が「イギリスによる『平和』」であるなら正しくそうだったが、しかし、それはすでに「イギリス『による』平和」ではなかったと指摘している[1]


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