辻村寿三郎(つじむら じゅさぶろう、1933年(昭和8年)11月11日 - )は、日本の人形作家、人形操作師。アートディレクター。旧名は辻村ジュサブロー。 年譜形式の経歴は推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2019年7月)
目次
1 年譜
2 創作の原点
3 九州とのつながり
4 著書・作品写真集など
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
年譜
1933年 旧満州国錦州省生れ。少年時代を中国大陸で過ごす。育った料亭で芸者の着物や端切れに親しみ、物心ついたときには割り箸で人形を作っていた。
1944年 11歳で日本に引き揚げ。広島市内の横川(現西区横川町)に1年ほど住む。
1945年 原爆投下の3ヶ月前に母の郷里で中国山地の山間の町、広島県三次市に越す。横川は爆心地から2キロほどの地点にあったため、あのまま広島市内に居たらこの世にいなかったかも知れない。
戦後 三次中学(現三次市立三次中学校
1954年 母の死をきっかけに広島に来演した前進座の河原崎国太郎を頼り役者を志して上京。
その後河原崎の紹介で小道具制作の会社に就職
1959年 26歳で独立、幼い頃よりの趣味であった創作人形を一生の仕事と決意
1961年 第13回現代人形美術展で『八百屋お七』が入選。以後、同展で特選・佳作となるなど人形作家としての地位を確立
1973年 NHK『新八犬伝』で人形美術を担当、300体もの人形を作り、一躍人気作家となる
1975年 NHK『真田十勇士』の人形美術を担当。芸術選奨新人賞受賞。
1978年 『王女メディア』(日生劇場)、アートディレクター担当
1981年 映画『魔界転生』の衣装デザイン担当
1986年 『オイディプス王』(築地本願寺)、アートディレクター担当
朝日放送制作のドラマ『必殺仕事人V・激闘編』第12話「頼み人は津軽のあやつり人形」(1986年2月14日放送)に人形遣の喜太郎役で、自作の人形とともにゲスト出演
1990年 TBS系時代劇『浮浪雲』(ビートたけし主演)の衣装デザイナー担当
1996年 東京日本橋人形町に長年の夢だった自身の人形館(ジュサブロー館)を開館
2000年 ジュサブローを本名に改める
2006年 怪主催「世界妖怪会議」にゲスト出演するため、故郷三次市に凱旋。また、福岡県行橋市で人形教室が開講(詳細は後述)。
その他その異才ぶりを遺憾なく発揮し、数々の創作人形の発表、人形芝居の上演、舞台衣裳デザインなど精力的な活動は行う。日本を代表する人形作家でありながら人形の世界にとどまらず、総合的なアーティストとして各方面より大きな注目を集めている。また人形館(ジュサブロー館)では作品展示の他、アトリエを公開しファンとの交流を図っている。現在人形町で唯一人の人形職人である。
なお文楽人形遣いの2代目桐竹紋十郎に人形制作のいろはを教わった[1]。 ある日学校の先生が、「親のない子、手を上げろ」三百余人のその中で、みっちゃんひとり手を上げた。11歳、私は大陸から引き上げ広島の小学校におりました。戦争のまっ只中、しかし広島はまったく空襲を受けませんでした。その理由は後で分かりましたが。8月の暑いさかりになりますと、夾竹桃の紅と純白の花が、校庭に咲き乱れた様子と、その校庭のまん中に大きな柳の木と、その下で遊んだ兄とその妹、「みっちゃん」としかおぼえていないけれど、その2人に逢ったときの姿が、原爆の焼け跡のように、私の目のうらに、しっかりと焼き付いているのです。その時の同級生の女の子を、戦後になってたずねたことがありました。私達が住んでいたあたりは、すっかり焼けて、その友達の居所も分からず、ひとづてでやっと逢えた時の様子が、いまだに忘れられません。みっちゃんの兄貴の名前は、すっかり忘れてしまったけれど、その時彼は高等1年でまだ子供だったけれど、焼け跡の中から出てきた時の彼は、まるでみっちゃんのお父さんのように見えたものです。 ―「ヒロシマよりこころをこめて」 1965年度・制作作品コメント 2005年、辻村が行橋市で行われたあるイベントに呼ばれた際、人形操作を披露。その様子に感動した人達の中にいた地元の人形創作グループから指導を依頼される。辻村はつい、「呼ばれれば指導に行くよ」と発言してしまった。結果、行橋市では2006年から辻村が講師を務める人形教室が開講した。これは全国初の試みであり、わざわざ遠方から学びにくる人もいるという。 辻村は2006年10月にNHK北九州放送局で放送された『なんしよ?ん!?北九州』の「亜紀的茶館」コーナーにゲストとして出演、ギャグを交えた独特の話法で人形の世界、上記のことにまつわるエピソードを語ったほか、人形操作の技も披露した。また、局のキャラクターである“北九さん”に人形作家の視点からの分析を求められた。 2014年 同じ九州出身である漫画家、尾田栄一郎と漫画「ONE PIECE」の画集「COLOR WALK6『GORILLA』」で対談。主人公とその仲間たちの人形を製作した[2]。 [ヘルプ] 典拠管理
創作の原点
九州とのつながり
著書・作品写真集など
『辻村ジュサブロー作品集「新八犬伝」』日本放送出版協会、1974
『辻村ジュサブロー人形作品集』写真:牧直視 文化出版局 1976
『辻村ジュサブロー作品集「真田十勇士」』高木素生写真 日本放送出版協会 1977
『辻村ジュサブロー万華鏡花』高木素生写真 美術出版社 1980
『人形曼陀羅 自伝随想』求竜堂 1980 のち中公文庫、日本図書センター「人間の記録」
『吉原 失なわれた「文化」を求めて 辻村ジュサブローの世界』監修 八重洲企画 1981
『兎夢』美術出版社 1987
『ジュサブロー満漢全飾』美術出版社 1988
『ジュサブロー : Jusaburo Tsujimura』同朋舎出版 1994
『寿三郎と作る小さな人形たち』日本放送出版協会 1999
『寿三郎の愛しいぬいぐるみ メルヘンの世界』日本放送出版協会 2005
脚注
^ NHK教育テレビ「知るを楽しむ」2009年3月『人形が教えてくれた』辻村寿三郎 より
^ “ ⇒『ONE PIECE』と伝説の人形師との夢コラボ作品を「J-WORLD」で展示決定”. ONE PIECE.com (2013年12月30日). 2014年1月18日閲覧。
関連項目
TBS「いのちの響」
外部リンク
⇒辻村寿三郎公式ホームページ
⇒人間の本質、人形に語らせる 創作50年・辻村寿三郎さん
WorldCat Identities
ISNI: ⇒0000 0000 8295 9952
LCCN: ⇒nr90003959
NDL: 00087423
VIAF: 109644106
更新日時:2019年7月14日(日)02:00
取得日時:2019/07/24 11:52