この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "辻嘉六"
辻 嘉六(つじ かろく、1877年〈明治10年〉3月5日[1] - 1948年〈昭和23年〉12月21日)は、大正時代から昭和時代の実業家、政界のフィクサー[2]。
日本化学産業の代表取締役を務め、立憲政友会の後援者であった。 郷里の中学校を中退して上京した。鉱業などの事業に携わり、1922年日満実業(のちの日本化学産業)を創立し、代表取締役に就任した。また陸軍大将の児玉源太郎、政治家の原敬らの知遇を得、政友会系大物政治家と密接な関係を持ちつづけ、1945年の日本自由党創立に関与したため、政界の黒幕的存在であった。
経歴
家族
長女:辻トシ子(秘書、コンサルタント)[2]
脚注[脚注の使い方]^ a b 『東京岐阜県人綜覧』(濃飛往来社、1938年)p.196
^ a b “戦後政治史の生き字引・辻トシ子さん ゴッドマザーは健在なり 。取材ノート 。日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)”. 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC). 2023年1月5日閲覧。
外部リンク
『辻嘉六』 - コトバンク