辻内 崇伸巨人時代
(2009年8月25日、横須賀スタジアム)
基本情報
国籍 日本
出身地奈良県磯城郡川西町
生年月日 (1987-12-05) 1987年12月5日(36歳)
身長
体重185 cm
88 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り2005年 高校生ドラフト1巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
大阪桐蔭高等学校[1]
読売ジャイアンツ (2006 - 2013)
派遣歴
ヒガンテス・デ・カロリーナ (2011)
監督・コーチ歴
イースト・アストライア
埼玉アストライア (2014 - 2015)
東北レイア (2016)
埼玉アストライア (2017 - 2018)
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辻内 崇伸(つじうち たかのぶ、1987年12月5日 - )は、奈良県磯城郡川西町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
2014年からは日本女子プロ野球機構(JWBL)を支援するわかさ生活に入社し同社の社員を務める傍ら、女子プロ野球・埼玉アストライアのコーチに就任。2016年にはレイアでコーチを務めた[2]後、2017年にはアストライアに復帰し、翌年1年間は監督を務めた。 奈良県出身[1]。小学校1年生の時、一塁手として野球を始める。中学時には「郡山シニア」に所属し、投手に転向した[3]。 大阪桐蔭高校では、2年の秋からエースとなり[4]、3年時に出場した夏の甲子園一回戦の春日部共栄戦、5回6失点の乱調で降板したものの、先頭打者への2-2からの外角に外れた速球が156km/hをマーク(ネット裏のオリックス・バファローズスカウトのスピードガンによる計測、甲子園の電光掲示板には152km/hと表示)。日本中の注目の的となった。 二回戦の藤代戦では当時の大会タイ記録となる19奪三振を記録。同校が初出場・初優勝を果たした1991年の夏の甲子園以来の4強入りを果たし、辻内自身も1大会における通算奪三振で板東英二の83に次ぐ、当時歴代2位の65[5]を記録した。準決勝では駒大苫小牧の田中将大から本塁打も打っている。 同年のAAAアジア野球選手権大会に日本代表として出場し、松坂大輔らを擁した1998年大会以来となる優勝に貢献した。
経歴
プロ入り前