日本の政治家辻?元 清美つじもと きよみ
国立女性教育会館より公表された肖像
生年月日 (1960-04-28) 1960年4月28日(64歳)
出生地 日本 奈良県吉野郡大淀町
出身校早稲田大学教育学部
前職国際交流NGOピースボートスタッフ
所属政党(社会民主党→)
(無所属→)
(社会民主党→)
(無所属→)
(民主党→)
(民進党→)
(旧立憲民主党→)
立憲民主党
称号社会科学士(早稲田大学・1987年)
公式サイト辻元清美公式サイト
内閣総理大臣補佐官
(災害ボランティア活動担当)
内閣菅直人第2次改造内閣
在任期間2011年3月13日 - 2011年9月5日
参議院議員
選挙区比例区
当選回数1回
在任期間2022年7月26日 - 現職
衆議院議員
選挙区(比例近畿ブロック→)
(大阪10区→)
(比例近畿ブロック→)
(大阪10区→)
(比例近畿ブロック→)
大阪10区
当選回数7回
在任期間1996年 - 2002年3月28日[1]
2005年9月11日 - 2021年10月14日
その他の職歴
立憲民主党代表代行
代表:泉健太
(2024年1月26日[2] - 現職)
初代 旧立憲民主党国会対策委員長
(2017年10月24日[3] - 2019年9月19日[4])
初代 旧立憲民主党政務調査会長
(2017年10月6日[5] - 2017年10月26日[6])
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辻?元 清美(つじもと きよみ、1960年〈昭和35年〉4月28日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の参議院議員(1期)。立憲民主党代表代行。
内閣総理大臣補佐官(災害ボランティア活動担当)(菅直人第2次改造内閣)、国土交通副大臣(鳩山由紀夫内閣)、衆議院議員(7期)、立憲民主党副代表、同幹事長代行、旧立憲民主党政務調査会長 (初代)、同副代表兼国会対策委員長(初代)、民進党幹事長代行(初代)、社会民主党国会対策委員長(第8代)、同政策審議会長(第5代)などを歴任[7]。ピースボート設立者のひとり[8]。 奈良県吉野郡大淀町に生まれ、大阪府高槻市で育つ[9][10][11][12]。名古屋大学教育学部附属高校卒業。高校3年生のとき、代々木ゼミナール名古屋校で英語の講師をしていた小田実の講演を聞く。講演後、喫茶店で小田と話し込み、意気投合したことが市民活動に関わるきっかけとして大きかったと辻?元は述べている[13]。卒業後、デパートで2年間販売員として働いた[14]。 1981年4月、早稲田大学教育学部に入学[15]。1980年代初め、小田の市民運動を手伝うようになる。代々木公園でビラまきをしているとき、反核運動の集会で同じくビラまきをしていた土井たか子に強烈な印象を受ける。この日、土井と秘書の五島昌子と昼食をともにした[16]。 1983年、その前年に起きた歴史教科書問題に触発され、大学の仲間4人で、アジア諸国と日本の交流の活性化を目的としたNGO「ピースボート」を設立した[9]。1987年、早稲田大学卒業[12]。 1992年6月、リオ・デ・ジャネイロで開かれた地球サミットにNGOの一員として参加[17]。その後も市民運動に関わり、1993年にはエイボン女性大賞教育賞を受賞[9]。 1996年9月27日、衆議院解散。翌9月28日、社会民主党の党首に土井たか子が復帰。10月4日、同党は「土井たか子を支える会」からメンバー3人を擁立することを決定。記者会見で、辻?元、市民団体「宝塚学校給食を考える会」代表の中川智子は比例近畿ブロックから、ジャーナリストの保坂展人は比例東京ブロックから出馬することが発表された[18][19]。それから4日後の10月8日、第41回衆議院議員総選挙が公示。党は辻?元を比例の1位、中川を2位に登載した。保坂は東京22区に転じた。10月20日、投開票。社民党は近畿ブロックで2議席獲得。辻?元と中川は初当選。保坂は小選挙区で敗れるも、比例復活で初当選した。 1998年1月に党幹事長代理に就任。枝野幸男らと推し進めた特定非営利活動促進法(NPO法)が同年3月に成立[20]。9月、党広報委員長就任[12]。 そのほか、被災者生活再建支援法、情報公開法、児童買春・児童ポルノ禁止法などの制定に取り組んだ。COP3「地球温暖化防止」プロジェクトチーム、男女共同参画社会基本法、環境アセスメント法審議に関わる[9]。 当時、社民党は自社さ連立政権の一翼をになう与党であったが、社民党・新党さきがけ2党は総選挙直前に大量の離党者を出し(その多くが旧民主党結党に参加)、第41回衆議院議員総選挙で惨敗を喫した。第41回衆議院議員総選挙を経て発足した第2次橋本内閣では社民・さきがけは閣僚を出さず、閣外協力に転じ、後に正式に連立政権を離脱する。なお、辻?元は一般に「自社さ」と呼ばれた連立の枠組みを「社自さ」と呼んでいた。 2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では大阪10区から社民党公認で出馬し、公明党の石垣一夫、民主党の肥田美代子らを破り、再選。同年7月、社会民主党政策審議会長に就任[12]。 2002年3月、辻?元らによる詐欺事件が「週刊新潮」の報道によって発覚し、3月28日に衆議院議員を辞職[1]。直後に瀬戸内寂聴から「あなた行くところないでしょう。私のところに来なさい」との電話を受け、京都市嵯峨野の寂庵で約1カ月間、庭の掃除をしながら暮らした[21]。同年7月18日、辻?元本人・初代政策秘書・土井たか子党首の元秘書で指南役の五島昌子ら4人が秘書給与詐欺容疑で警視庁に逮捕された。逮捕後は口裏合わせをして証拠隠滅を図った事実及び詐欺容疑を全面的に認めた。 2004年2月、東京地裁は、秘書給与1840万円を騙し取った詐欺の罪で、懲役2年・執行猶予5年の有罪判決を下した[22](2009年、猶予期間満了)。判決後、何をすべきか迷っていたときに、瀬戸内寂聴に四国お遍路の旅を勧められるが、経済的な余裕がなかったため大阪府全市町村を日帰りで歩く旅に出た[23]。同年6月に社民党を離党[12]。同年7月の第20回参議院議員通常選挙に大阪府選挙区から無所属で立候補したが、次点で落選(同選挙の全国最高得票数落選者)。 2005年7月5日、郵政民営化法案が衆議院で可決するが、翌7月6日、小泉純一郎首相は、参議院で否決された場合ただちに衆議院を解散して総選挙を行うと明言[24]。同月末、福島瑞穂から「また一緒にやろう」との電話を受ける。土井たか子からも8月8日の解散直前に「もう一度腹をくくってがんばれ」と励まされ、衆院選出馬の意思を固める[25]。8月15日、社民党大阪府連は辻?元を大阪10区に同党公認で擁立する方針を決めたと明らかにした[26]。9月11日、第44回衆議院議員総選挙執行。大阪10区は自由民主党元職の松浪健太が当選。社民党は比例近畿ブロックで1議席を獲得し、登載順位1位の辻元は比例復活で3選[12]。
来歴
生い立ち
政界入り
逮捕・議員辞職から政界復帰まで詳細は「辻元清美秘書給与流用事件」を参照