つじ しんたろう
辻 信太郎
生誕 (1927-12-07) 1927年12月7日(96歳)
日本 山梨県
別名いちごの王さま
出身校桐生工業専門学校化学工業学科卒業
職業実業家
作家
元地方公務員
著名な実績サンリオ創業
子供辻邦彦
親戚辻朋邦(孫)、辻友子(義娘)[1]
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辻 信太郎(つじ しんたろう、1927年12月7日 - )は、日本の実業家、作家。山梨県職員を経て、株式会社サンリオを創業。同社代表取締役会長。 創業以来2020年6月まで同社の社長を務めた。サンリオ作品の原作・脚本を執筆するなどの創作活動も手がけている。日本文芸家協会・日本ペンクラブ会員。 長男はサンリオ副社長を務めた辻邦彦(2013年没)。また現社長・辻朋邦
来歴・人物
サンリオが発行する『いちご新聞』で毎号コラムを掲げる「いちごの王さま」は辻の分身的存在であり、王さまの姿を借りて「世界中がみんな仲良く平和に暮らせるように」との願いを発信し続けている。
略歴
1927年12月7日 - 山梨県甲府市に生まれる。辻家は五百年続く旧家で、武田信玄の二十四将の一人山県昌景の子孫を称する[2]。
1945年 - 山梨県立甲府中学校(現・山梨県立甲府第一高等学校)卒業。兵役を避けるために旧制桐生工業専門学校(現・群馬大学工学部)に進学。専攻は応用化学。在学中はサッカリンや石鹸などを作って闇市で販売した[3]。在学中に甲府空襲があり、たまたま帰省していて遭遇[4]。生家は全焼した[5]。
1947年 - 桐生工業専門学校化学工業学科卒業。
1949年 - 山梨県庁入庁。
1960年8月 - 山梨県庁を退職。県庁の外郭団体を民営化の上で独立させた同名の「株式会社山梨シルクセンター」(1973年より株式会社サンリオ)を設立。代表取締役社長[6]。県庁退職の際は県政功労者として3階級特進[注釈 1]を受けた。知事から酒類販売業免許を受けた[注釈 2]が、社員に重量物を運ばせることは信念に反するとして返納している[3]。
1984年2月 - 株式会社ココロの代表取締役会長に就任[6]。
1987年11月12日 - 株式会社サンリオピューロランド設立、同社の代表取締役社長に就任。
1988年10月22日 - 株式会社ハーモニーランド設立、同社の代表取締役社長に就任[6]。
1990年4月 - 辻アジア交流基金(現・財団法人辻アジア国際奨学財団)設立
1991年5月3日 - テレビ東京ワールドビジネスサテライト「GW特集 子供の夢をビジネスにした男」で初のテレビ取材を受ける[5]。
2009年7月1日 - 株式会社サンリオエンターテイメント設立、同社の代表取締役社長兼会長に就任[6]。
2010年 - 株式会社サンリオエンターテイメント代表取締役会長に就任(代表取締役社長は佐藤誠)[6]。
2013年11月20日 - 株式会社サンリオ代表取締役副社長で長男の辻邦彦を急病により失う[7]。