農薬
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農業機による農薬の空中散布

農薬(のうやく、: agricultural chemical[注釈 1])とは、農業の効率化、あるいは農作物の保存に使用される薬剤の総称。殺菌剤防黴剤(ぼうばいざい)、殺虫剤除草剤殺鼠剤(さっそざい)、植物成長調整剤(通称「植調」:植物ホルモン剤など)等をいう。また、害虫雑草の駆除に利用される天敵や捕食者は「生物農薬」と呼ばれる。
概要

農薬は元々は土壌種子の消毒と、発芽から結実までの虫害や病気の予防をするものを指していたが、農作物の虫害や植物の成長調整など、「農業の生産性を高めるために使用される薬剤」として広義に解釈されるようになっている[1]。近代化された農業では農薬は大量に使用されている。一方、人体に対する影響をもたらす農薬も多くあることから使用できる物質や量は法律等で制限されている。
各国の農薬の使用状況と最新農法

世界各国の農薬使用量は、日本を1とすると、アメリカ合衆国が0.2、イギリスドイツスペインが0.33、オランダが0.8、デンマークが0.1、スウェーデンが0.05となり、EUは政策により意図的に農薬使用量を減らしている。また近年躍進が著しいブラジルでも、日本の3分の1であり、インドは日本の30分の1しかない。FAO国連食糧農業機関)の統計によると、中国の農薬使用量は、農地1haあたり13kgの世界トップレベルだが、日本も11.4kgの農薬を使っており、中国とほぼ変わらない。日本人の多くは「国産が一番安全」と信じていることが多いが、間違った神話であり、日本は中国と並んで世界でも有数の農薬大国である。日本が農薬削減に立ち遅れている背景には、日本の農業の多くは、1970年代からまったく進歩せず、技術革新が、起きてこなかったことがあると拓殖大学国際学部教授竹下正哲は指摘している。海外では1990年代あたりから農業の形態が激変した。栽培法に幾度も革命が起き、その都度、最先端のテクノロジーが農業と融合し、さらに農業は国境を越えたグローバルビジネスとなり、カーギル、ブンゲなどの巨大企業が誕生し、世界の食糧を管理できるほどの力を持つに至り、零細農家は消えていった。しかし、日本では内向きの農業が続き、変化がなかった[2]

2018年12月末、TPP(Trans-Pacific Partnership、環太平洋パートナーシップ)が開始されると、太平洋周辺の11カ国間(オーストラリアブルネイカナダチリ、日本、マレーシアメキシコニュージーランドペルーシンガポールベトナム)で、貿易自由の目的で、多くの関税が撤廃された。このため、日本にも、海外の農産物輸入品が急増した。さらにTPPとは別に、ヨーロッパとはEPA(Economic Partnership Agreement、経済連携協定)が結ばれた。ヨーロッパと日本の間の関税や関税以外の障壁を取り払い、貿易をより自由にする取り決めであり、2019年2月に発効された。このため、今後はヨーロッパから野菜果物の輸入の急増が予測されるが、収穫が終わった後の処理に急速に発達したポストハーベスト技術が使用されるため、遠方からの輸入が可能となった。すでにヨーロッパでは、最新のテクノロジーを使い、日本よりもはるかに効率のよい農法で同時に、使用農薬量は、日本よりもはるかに少なくしており、最先端農業でありながら、安全で安心、環境にも優しい農業が展開されている。このため、竹下は世界と日本の差はさらに開いていき、日本の農業が衰退するのではと警鐘を鳴らしている[2]
歴史

紀元前から海葱(ステロイド配糖体を含む)を利用したネズミ駆除、硫黄を使用した害虫駆除が行われてきた。17世紀になるとタバコ粉、19世紀初頭には除虫菊やデリス根(ロテノンを含有)を利用した殺虫剤が用いられるようになったが、天然物や無機化合物が中心であり、化学合成された有機化合物の農薬が登場するのは、20世紀に入ってからである[3]
前近代

人類の歴史を遡ると、農作物への病害虫による被害は古くからあり、耕作方法や品種の変更など様々な努力がなされていた[4]

元来、植物には昆虫による食害や菌類ウイルス感染を避けるため、各種の化学物質を含有、または分泌するアレロパシーと呼ばれる能力がある。複数種類の植物を同時に栽培するコンパニオンプランツをすると、連作障害を防止できることは経験的に知られていた。

古代ギリシャ古代ローマでは、播種前の種子に植物を煮出した液やワインを漬けておく方法や、生育中のバイケイソウなどの植物の浸出液を散布する方法がとられていた[4]
近代農薬の登場

1800年代に入ると、コーカサス地方で除虫菊の粉末が殺虫剤として使用されたほか、デリス(en)根の殺虫効果が知られるようになった[4]

1824年には、モモうどんこ病に対して、硫黄と石灰の混合物が有効であることが発見された[4]。その後、1851年フランスのグリソンが石灰硫黄合剤を考案した。

18世紀後半には、木材の防腐剤として用いられていた硫酸銅が、種子の殺菌にも用いられるようになったが、1873年ボルドー大学のミヤルデ教授が、ブドウべと病に硫酸銅と石灰の混合物が有効であることを発見[4]1882年以降、ボルドー液として農薬に利用されることとなった[4]

1924年に、ヘルマン・シュタウディンガーらによって、除虫菊の主成分がピレトリンという化学物質であることが解明された。1932年には日本の武居三吉らによって、デリス根の有効成分がロテノンという化学物質であることも判明した。
化学合成農薬の登場

20世紀前半までは農薬の中心は天然物や無機物であったが、第二次世界大戦後になると本格的に化学合成農薬が利用されるようになる[4]
DDTと殺虫剤

1938年ガイギー社のパウル・ヘルマン・ミュラーは、合成染料の防虫効果の研究からDDTに殺虫活性があることを発見、農業・防疫に応用された。DDTは、人間が大量に合成可能な有機化合物を、殺虫剤として実用化した最初の例であり、ミュラーはこの功績により1948年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

DDTの発見に刺激され、1940年代には世界各国で殺虫剤の研究が始まり、1941年頃にフランスでベンゼンヘキサクロリドが、1944年頃にドイツパラチオンが、アメリカでディルドリンがそれぞれ発明された。


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