農村歌舞伎舞台
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大鹿歌舞伎の舞台(大磧神社)北僧尾農村歌舞伎舞台。1970年の兵庫県指定重要有形民俗文化財指定以降、3度にわたり改修が行われている。

農村歌舞伎舞台(のうそんかぶきぶたい)は、日本において江戸時代より農民娯楽として行われている農村歌舞伎人形浄瑠璃を催すための舞台[1]。角田一郎が昭和45年(1970年)にまとめた調査では、廃絶したものを含めて全国に1777の農村舞台(舞台・人形浄瑠璃舞台含む)が確認されている[2]

神社敷地に建設される場合が多く、寺院に設けられる場合もあるが、独立敷地の例は少ない[3]
概要

江戸時代中期の宝暦?天明年間(1750年 - 1780年代)、全国の農村で歌舞伎・人形浄瑠璃が演じられるようになり、江戸時代後期の文化文政年間(1800年代初め)に常設の舞台が設置されるようになったとされている[4]天保の改革では地歌舞伎は弾圧の対象となり、舞台の取り壊しも行われた[5]

農村舞台は、明治22年(1889年)から始まった市制町村制の施行による村落共同体の解体と同時期、明治20年?30年(1887年 - 1897年)にかけて衰退していく[6]。地芝居の衰退の結果、職業役者による買芝居の上演の比率が上昇し、住民の共有舞台から興業劇場へと転換したものもある[7]
舞台機構檜枝岐の舞台。向かって左に花道、右に下座。舞台奥に固定式二重。大川神明宮の舞台。左右に下座、舞台奥壁に遠見。

松崎茂は地芝居の上演のため舞台に設けられる機構として以下の7つを挙げる[8]
下座・太夫座

下座音楽を演奏する者や、義太夫節を語る太夫の座る場所。「チョボ床」に相当。

下座が舞台外にある場合、舞台内あるいは舞台外に接続する場合、舞台よりも高い位置にある場合などに分類される。
二重

歌舞伎において舞台上にさらに設ける小舞台。

固定式の二重から発達し、舞台上での水平移動ができるものや、心棒があり回転可能なもの、舞台床下へ下降または屋根裏へ上昇できるものなど、後述のセリや回転と関連した機構を持つものもある。
セリ

床の一部や二重を上下に動かす機構。床だけでなく花道や廻り舞台の中に設けられる場合もある。詳細は「」を参照
ガンドウ・ガッタリ・バッタリ

農村歌舞伎舞台特有の機構。群馬県ではガンドウ、兵庫県ではガッタリ・バッタリと呼ばれる。

舞台側面の板壁を外側に倒すことのできる機構。舞台を拡張する機能を持つ場合や、下座となる場合、歌舞伎・人形浄瑠璃の舞台用途転換などに使われる。遠見にガンドウが設けられる場合もある。
回転

二重を回転させる機構や、廻り舞台がこれに含まれる。二重が回転する機構や、二重を台枠に載せて回転させる機構の方が廻り舞台よりも古くからあるとみられる。詳細は「廻り舞台」を参照
花道

歌舞伎の演出には欠くことのできない設備だが、舞台が寺社の屋外にあることが多い関係上、常設の花道は少ない。花道にもセリ(スッポン)が設けられることがある。詳細は「花道」を参照
遠見

一般的には遠見とは舞台上の背景を指すが、松崎は舞台奥壁の一部が窓のように開放できる機構のことを遠見と呼んでいる。屋外の景観を背景として取り込む、農村舞台ならではの機構である。
各地域の農村歌舞伎舞台
神戸市北区

西日本、特に兵庫県において発達した。農村舞台は全国に1000基以上残っているが、およそ10%が兵庫県内に存在する。旧・山田町を含む北神戸には15の農村舞台があり、この地域で特に盛んであったと推測されている。天彦根神社境内の下谷上農村歌舞伎舞台天保11年、1840年建立)や北僧尾農村歌舞伎舞台は特に保存状態がよく当時の面影を伝えている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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