農協
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この項目では、日本の農業協同組合について説明しています。

世界各国の農業協同組合については「農業協同組合 (世界)」をご覧ください。

JA及びJAグループ所属団体のシンボルマーク

農業協同組合(のうぎょうきょうどうくみあい、通称:農協〈のうきょう〉)は、日本において農業者(農民又は農業を営む法人)によって組織された協同組合である。農業協同組合法に基づく法人であり、事業内容などがこの法律によって制限・規定されている。なお、全国農業協同組合中央会が組織する農協グループ(総合農協)を、愛称としてJA(ジェイエー、Japan Agricultural Cooperativesの略)と呼び[1]、略称として「JA○○」の呼称を用いている。
沿革丸上農業協同組合 温州みかん選果場落成式 昭和30年代

江戸時代後期、農村指導者の大原幽学下総国香取郡長部村(現・千葉県旭市長部)一帯で興した「先祖株組合」が、世界初の農業協同組合とされる[2][3]。一方、近代的意味における農業協同組合の前身は、明治時代に作られた産業組合帝国農会にさかのぼる。

産業組合は、ドイツ帝国の産業及び経済組合法をもとに、1900年(明治33年)に産業組合法が制定された。産業組合は、信用、販売、購買、利用の4種の組合が認められ、職業による組合員の制限はなかった。その後、農村恐慌への対応として1932年(昭和7年)に農山漁村経済更生運動が取り組まれたが、産業組合は産業組合拡充5ヶ年計画を樹立、「全戸加入」「未設置町村解消」「四種兼営」を掲げて、その拡充、定着に努めた。これによって農村における産業組合の農民組織率は大正末期の40%から1935年の75%に上昇、ほぼ全ての町村に四種兼営の産業組合が存在するようになった[4]

他方、戦前の農業団体として農会法(1899年)に基づく農会がある。農会は「農業の改良発達を図る」ことを目的として農業技術指導等を行い、会員の賦課金と政府からの補助金によって運営される半官半民組織であった。農会法は1922年(大正11年)に大改正を経て農政補助機関としての性格を強めた。組織的には地域内に一定の面積を所有する農業者を強制加入させ、市町村農会、郡農会、府県農会、帝国農会の段階制をなしていた[5]

その後戦時体制下の1943年、食料統制を円滑に進めることを目的に農業団体法が制定され、農会、産業組合、畜産組合、養蚕業組合、茶業組合が統合されて農業会が設立された。地方農業会として、市町村農業会、都道府県農業会が置かれ、全国段階には産業組合連合会が統合した全国農業経済会と、帝国農会と産業組合中央会が合体した中央農業会が置かれた[6]。農業会の存在した期間は1943年から1947年までと限られていたが、その後の農協の設立が「農業会の看板塗りかえ」であったため、戦後農協の性格に大きな影響を与えた。

戦後の農地改革の一環として、GHQは農地改革で生まれた戦後自作農を守るための制度として、自主的で自立的な欧米型の農業協同組合の創設を日本政府に指示した。しかし、当時の食料行政は深刻な食糧難の中で、食料を統制・管理する必要があった。農林省は集落を単位とする農家組合等を構成員とする農協制度を構想してGHQと交渉し、1947年(昭和22年)に農業協同組合法(昭和22年法律第32号)が公布・施行された。こうしたことから、実際には農業会の組織、資産、職員を引き継いで戦後農協が発足した。農業会の解散期限が昭和23年8月とされたため多くの農協が短期間に設立された。その際に「協」を図案化した円形の「農協マーク」が制定された(地方の古い農業倉庫などに「農協マーク」が残っている場合がある)。1992年4月から「農協マーク」に代わり、「JA」の名称や「JAマーク」を使い始める。

戦後農協は、欧米型の自主的、自立的協同組合の理念を掲げながらも、実際には食糧統制、農業統制のための行政の下請け組織的性格が強かった。また事業運営にあたっても上部組織である連合会主体の運営がなされる傾向がある[7]。さらに、戦後農協の性格を「協同組合」、「農政下請け機関」、「圧力団体」の複合体とみる見解もある。

2014年5月22日、規制改革会議は、「全国農業協同組合中央会(JA全中)が、法律に基づいて農協の経営指導などを行う」今の制度を廃止する農協改革案を提案した。しかし、議員からは「安易に組織をいじれば生産者の不安をあおるだけ」、「あくまでみずからで行う改革が基本だ」と、反発の声が相次いだ。一方、一部の議員からは「農協にもっと経営能力のある人材を登用すべき」とか「農協の販売力の強化は必要だ」という意見も出た。その為、自民党は、6月上旬を目標に目処に、生産者の所得を増やすための案をまとめる[8]。なお、規制改革会議の農協(JA)改革案は、TPP交渉をにらんでの考えとされている[9]竹中平蔵は「外国人労働者を入れて農業を再生したい」という提案を拾い上げ、実現に向けて意欲を示している[10]。その後2019年までにJA全中は一般社団法人に、都道府県農業協同組合中央会は農業協同組合連合会に移行した。
組織

事業ごとに次の全国組織および都道府県域組織(農業協同組合連合会など)がある。なお専門農協は「専門農協」の項を参照。

全国農業協同組合中央会(JA全中) - 単位農協(JA)および連合会の指導、監査、広報活動。

都道府県農業協同組合中央会 (JA中央会)- 各都道府県に1つずつ設置されている。


全国農業協同組合連合会(JA全農) - 経済事業(販売、購買)

経済農業協同組合連合会(JA経済連) -全国農業協同組合連合会(JA全農)や県単一農協への統合が進んでおり、現存しているのは7県。北海道は北海道経済農業協同組合連合会からホクレン農業協同組合連合会に名称変更。


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