辞職勧告決議
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辞職勧告決議(じしょくかんこくけつぎ)は、議会が特定公職者に対して「辞職を勧める」決議。
概説

不祥事などで公職の身分にふさわしくないとされる人物に対して行われる議会の意思表示である。「勧告」である以上、あくまで当該人物による自発的な辞職を促すもので、議員に対する除名や首長に対する不信任決議とは異なり法的拘束力はなく、たとえ当該人物が勧告に従わず辞職しなくても法律上の問題はない。

分類として以下の二つがある。

議員辞職勧告決議

首長辞職勧告決議

議員辞職勧告決議

議員に対する辞職勧告決議は、法的には拘束力を持たないが、議員の院外での不祥事に対する議会の意思表示として行われている。これは、議員の除名は法的拘束力を持つものの「院内の秩序をみだした議員」のみを対象としており、院外の行動における不祥事は対象外であるためである。

一方で、有権者に選ばれた議員の進退問題については個々の議員が判断すべきという意見や、法に明文もないのに議会が特定の議員の進退問題を議決することは憲法上問題であると批判する意見もある。

また、勧告対象となった議員が辞職勧告を拒否した場合やその後の選挙で当選した場合は、議会の権威が低下する懸念も指摘されている。

他方で、議員辞職勧告決議が本会議で採決された場合、議員が辞職勧告が提出されるような理由が存在する事態において、個々議員がどのように考えているのかを知ることができ、次回選挙における指標にできるとする意見がある。また、辞職勧告を無視する議員がいた場合は、当該議員の政治的道義的退廃を示すものであり、有権者の批判が一層強まるとする意見がある。

住民によるリコールという形の解職請求は選挙管理委員会に対して行う強制力のあるものであり、議会による辞職勧告決議とは異なる。
帝国議会(処決決議)

戦前では辞職を処決という言葉を用い、辞職勧告決議の代わりに「処決決議」が行われた。戦前の帝国議会では「院議無視」又は「院議不服従」をした議員に対して、院内の秩序を乱す懲罰事犯とする取り扱いが認められており、処決決議を無視した議員に対して除名を含めた処分が可能であった。

帝国議会の本会議における処決決議等採決例本会議採決日議院議員結果採決理由その後
1904年(明治37年)3月28日衆議院秋山定輔可決異議なしロシアスパイ疑惑翌3月29日に議員辞職。

国会議員

国会本会議で議員辞職勧告決議が採決されたことは過去に5例ある(糾弾決議が採決された丸山を含めれば6例)。秋山と重政と西村(と丸山)を除く3人は議決時において逮捕勾留されており、議員活動が滞っていた。可決例は4例(丸山を含めれば5例)でいずれも可決された4人(丸山を含めれば5人)は議員辞職を拒否している。

かつては55年体制下では日本社会党など野党が不祥事疑惑がある自由民主党議員に対する辞職勧告決議の本会議採決を要求し、自由民主党は反対するという構図になっており、55年体制下で議員辞職勧告決議が採決されたのは1966年の重政庸徳の1例だけであった。1983年に田中角栄元首相に対してロッキード事件に関して一審実刑判決が出た際には野党が田中角栄議員辞職勧告決議の本会議採決を要求し国会が空転したこともある。

しかし、1997年1月に入ってからは逮捕や起訴を受けても議員辞職しない現職国会議員に対して議員辞職勧告決議が採決される傾向がある。また、民主党は過去には国会議員が逮捕や起訴がされていない疑惑の段階で議員辞職勧告決議案を提出をし、本会議採決を要求していたことがある(例として鈴木宗男[1]松浪健四郎[2]など)。しかし、2010年に陸山会事件で逮捕された石川知裕(その後、起訴、一審有罪)や2020年にIR汚職事件で逮捕された秋元司(その後、起訴)について議員辞職勧告決議が提出されているが、与党が反対意向していることから現職国会議員に対しては議員辞職勧告決議が採決されない例が続いている。また、自由民主党議員に関して、収賄罪の有罪が確定した藤波孝生や二審で収賄罪の有罪判決が出た中村喜四郎に対する議員辞職勧告決議の採決を拒否した過去がある。

本会議における国会議員辞職勧告決議等採決例本会議採決日議院議員結果採決理由その後
1966年(昭和41年)2月2日参議院重政庸徳否決起立少数銃刀法違反による秘書の逮捕
(国会内短銃密売事件)自民党籍離脱し、77日間登院自粛。
1997年(平成9年)4月4日参議院友部達夫可決起立過半数詐欺罪による起訴
オレンジ共済事件)辞職拒否。有罪確定まで約4年間議員在職( ⇒本文)。
2002年(平成14年)6月21日衆議院鈴木宗男可決起立総員収賄罪による逮捕
やまりん事件)辞職拒否。衆議院解散まで約1年4ヶ月間議員在職( ⇒本文)。
2003年(平成15年)3月25日衆議院坂井隆憲可決異議なし政治資金規正法違反による逮捕
業際研事件をきっかけに発覚)辞職拒否。衆議院解散まで約7ヶ月間議員在職( ⇒本文)。
2006年(平成18年)3月17日衆議院西村眞悟可決起立多数弁護士法違反による起訴
西村眞悟弁護士法違反事件)辞職拒否。衆議院解散まで約3年4ヶ月間議員在職( ⇒本文)。
2019年(令和元年)6月6日衆議院丸山穂高※可決異議なしビザなし交流における北方領土戦争発言等辞職拒否。衆議院解散まで約2年4ヶ月間議員在職(本文)。
※「国会議員の資格はないと断ぜざるを得ない」「ただちに、自ら進退について判断するよう促す」とする糾弾決議。

議院運営委員会における国会議員辞職勧告決議等の質疑終局・即決動議の否決例委員会採決日議院議員結果理由
1983年(昭和58年)5月25日衆議院佐藤孝行挙手少数で否決収賄罪による一審有罪判決
懲役2年・執行猶予3年・追徴金200万円
ロッキード事件
1983年(昭和58年)5月25日衆議院田中角栄挙手少数で否決収賄罪による起訴
(ロッキード事件)
1999年(平成11年)11月4日衆議院藤波孝生挙手少数で否決収賄罪での最高裁有罪判決
懲役3年・執行猶予4年・追徴金4270万円が確定
リクルート事件
2000年(平成12年)3月28日衆議院藤波孝生挙手少数で否決収賄罪での最高裁有罪判決
懲役3年・執行猶予4年・追徴金4270万円が確定
(リクルート事件)
2001年(平成13年)5月18日衆議院中村喜四郎可否同数
委員長決裁[注 1]で否決収賄罪での二審有罪判決
懲役1年6ヶ月・追徴金1000万円
ゼネコン汚職事件
2002年(平成14年)3月20日衆議院鈴木宗男挙手少数で否決外務省疑惑
2002年(平成14年)5月14日衆議院鈴木宗男可否同数
委員長決裁[注 2]で否決偽計業務妨害罪での秘書の逮捕
(ムネオハウス事件)
2003年(平成15年)6月12日衆議院松浪健四郎挙手少数で否決暴力団による秘書給与肩がわり

都道府県議会議員

都道府県議会辞職勧告決議の可決例年採決日議会議員理由その後【出典】
1993年(平成5年)6月29日
鹿児島県議会堀口文雄贈収賄による起訴不明
1994年(平成6年)12月15日徳島県議会松田一郎収賄罪による起訴不明
1997年(平成9年)6月24日滋賀県議会西村政之斡旋収賄罪による逮捕不明
2001年(平成13年)6月5日兵庫県議会萬代正信図書館建設をめぐる職務強要罪による起訴不明
2002年(平成14年)2月22日大阪府議会奴井和幸飲酒運転による1審有罪判決不明
同年12月11日東京都議会福島寿一婦女暴行致傷罪による逮捕不明
2003年(平成15年)6月30日栃木県議会人見哲公職選挙法違反による逮捕不明
同年7月15日福岡県議会吉村元秀政治資金規正法違反による起訴不明
2004年(平成14年)9月16日岐阜県議会井上一郎飲酒運転の摘発不明
2005年(平成17年)12月21日滋賀県議会太田正明加重収賄罪による起訴不明
2006年(平成18年)3月7日鹿児島県議会栄和弘金銭授受疑惑不明
2007年(平成19年)5月16日山形県議会村山隆飲酒運転の摘発不明
2011年(平成23年)6月24日広島県議会正木篤無免許運転の摘発無視
同年9月20日広島県議会正木篤無免許運転の有罪判決無視したのち、2013年2月の解職請求による住民投票の可決により失職。[3]
2012年(平成24年)9月18日鳥取県議会谷村悠介他の県議会議員への不適切な文書の送付無視[4]
2019年(平成31年)2月15日兵庫県議会樽谷彰人妻への暴行容疑で逮捕無視したのち、同年4月の県議選に不出馬。[5][6]
2021年(令和3年)7月23日東京都議会木下富美子無免許運転事故の発覚無視[7]
同年9月29日東京都議会木下富美子無免許運転事故での書類送検同年11月22日に辞職。
2022年(令和4年)3月18日広島県議会佐藤一直河井夫妻選挙違反事件での在宅起訴無視[8]


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