辛坊治郎
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しんぼう じろう辛坊 治郎
プロフィール
出生地
日本  鳥取県米子市
出身地 日本  埼玉県入間市
国籍 日本
生年月日 (1956-04-11) 1956年4月11日(68歳)
血液型AB型
最終学歴早稲田大学法学部
職歴讀賣テレビ放送
(1980年 - 2010年9月)
活動期間1980年 - 現在
ジャンル報道番組
バラエティ番組
配偶者西岡香[1]
担当番組・活動
出演中『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!
辛坊治郎の万博ラジオ
出演経歴『ズームイン!!朝!
ニューススクランブル
たかじんのそこまで言って委員会
朝生ワイド す・またん!
ウェークアップ!ぷらす』など
備考
第4回 新語・流行語大賞 流行語部門 銀賞
第27回正論大賞 入賞
2014年MJCマリン賞 スポーツ/アドベンチャー部門アナウンサー: テンプレート - カテゴリ

辛坊 治郎
人物
国籍 日本
職業ニュースキャスター
YouTube
チャンネル

【辛坊治郎公式】辛坊の旅

活動期間2018年2月4日 -
ジャンル旅行
登録者数24.1万人
総再生回数52,683,277 回
YouTube Creator Awards

登録者100,000人2021

チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-05-05-00002023年5月5日時点。
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辛坊 治郎(しんぼう じろう、1956年4月11日 - )は、元読売テレビアナウンサー、元ニュースキャスターシンクタンク経営者YouTuber読売テレビでは報道局局長待遇解説委員長などを歴任。妻は元読売テレビ報道局報道部記者で現・ラジオパーソナリティの西岡香[1]、実兄は株式会社大阪綜合研究所代表で元住友ファイナンスエイシア代表取締役社長の辛坊正記
来歴
生い立ち

鳥取県米子市生まれ。男2人兄弟の二男として生まれる[2][3]。鳥取県での生活はわずか2か月で記憶が非常に薄く、航空自衛隊所属の自衛官である父親の転勤で宮城県東松島市岐阜県各務原市小学校入学前まで全国を転々とし[4]、物心がついたころから大学時代まで埼玉県入間市で過ごした[注 1]

入間市立豊岡中学校在学時に、テレビでメキシコ映画『ぼくの心はバイオリン』を視聴中に停電して結末までの15分を観ることができなかったため、放送局のTBSテレビに結末を電話でたずねると親切に教えてもらったことに感激し、将来は放送局で働こうと決心した。

埼玉県立川越高等学校では航空部と英語部に所属した。東京大学を目指した1浪の後、1976年4月に早稲田大学法学部へ進学[6]。大学3年時に司法試験に不合格となり、夏休みを挟んだ3か月間で西ヨーロッパモロッコトルコなどを、4年時にはタイをバックパッカーで旅した。また、高校3年時の同級生、同じ大学の出身にライター本橋信宏がいる[7]

就職活動では埼玉県庁の上級職試験に合格し、住友商事から内定を得る。ほかに大学就職部の掲示板でフジテレビのリポーター・司会者(アナウンサー)募集に『交通費一律1,000円支給』との注釈があるのを見掛けて同社を受験し、受験者1,300人から3名に絞られた7次選考の最終面接で、”担当希望の番組に「『リビング11』(お昼の通販番組)を担当したい」”と答えて不採用となった。なお、同じ年の同社の選考では、同じく早大出身で、のちに社長に就任する亀山千広が内定し、入社している。

同年12月、大阪の読売テレビから突然電話があり[注 2]「フジテレビの最終で落ちたそうだが良かったら弊社を受けてみないか」と誘われて受験し、受験者8名から合格者2名として内定が得られ、埼玉県庁、住友商事、読売テレビの3つ選択肢を得たが、読売テレビの内定を承諾した。自身の講演会によると「朝のラッシュアワーが辛いため、始業時刻が朝10時と一番遅かった」ため[8]
読売テレビ時代

1980年3月、早大卒業後の同年4月に読売テレビアナウンサー職として入社。同期社員は元アナウンサー、スポーツ部、広報、東京事業部社員であった村田真哉[注 3]。系列局(NNN・NNS)アナウンサーの同期では日本テレビ井田由美、元・四国放送遠藤彰良池田賢、元・札幌テレビ石田久美子と宇都宮庸子と猶木裕子、元・テレビ岩手山田基行、元・秋田放送菅原実[注 4]茜谷幸子[注 5]、元・山形放送芳賀道也家坂文子、元・テレビ信州の今村正大と新見宏司と伊藤真弓、元・静岡第一テレビ北嶋興と木暮静江、元・広島テレビ放送湯浅真由美がいる[注 6]。後に近畿広域圏の中継キャスターとしてレギュラーで出演する、『ズームイン!!朝!』の気象情報読み上げで初鳴き。

以後はスポーツ実況を希望し、近鉄バファローズの担当記者として活動。その後、『ズームイン!!朝!』の中継キャスターとして、8年間担当し、後述である後輩で共演者である森たけしと共に1987年の阪神タイガースの不振をボヤいた台詞「なんぎやなぁ」が第4回 新語・流行語大賞 流行語部門 銀賞を受賞[10]し、1989年には森たけしと共に歌唱した阪神タイガースの応援歌『負ける気せんね』を発売した。

1990年4月から、後述の理由の結果、『ニューススクランブル』のキャスターとして抜擢され、裏番組で同時間帯の視聴率でトップであった『MBSナウ』(毎日放送)を視聴率で抜き、当時番組を担当していた、同局元アナウンサーで元大阪市長であった平松邦夫に引導を渡す結果を挙げた[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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