この項目では、自治体としての軽井沢について説明しています。
地域としての軽井沢については「軽井沢」をご覧ください。
その他については「軽井沢 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
かるいざわまち
町内より浅間山を望む
旧軽井沢メイン
ストリート軽井沢聖パウロ
カトリック教会
白糸の滝町内の別荘地
軽井沢町旗
1960年12月22日制定軽井沢町章
1960年12月22日制定
国 日本
地方中部地方(甲信越地方)
都道府県長野県
郡北佐久郡
市町村コード20321-1
法人番号8000020203211
面積156.03km2
総人口19,830人 [編集]
(推計人口、2024年4月1日)
人口密度127人/km2
隣接自治体佐久市、北佐久郡御代田町
群馬県:高崎市、安中市、甘楽郡下仁田町、吾妻郡長野原町、嬬恋村
町の木コブシ
町の花サクラソウ
他のシンボル町の鳥:アカハラ
町の動物:ニホンリス
軽井沢町役場
町長[編集]土屋三千夫
所在地〒389-0192
長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2381-1
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度20分54秒 東経138度35分49秒 / 北緯36.34842度 東経138.59703度 / 36.34842; 138.59703座標: 北緯36度20分54秒 東経138度35分49秒 / 北緯36.34842度 東経138.59703度 / 36.34842; 138.59703
軽井沢町役場
外部リンク公式ウェブサイト
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軽井沢町(かるいざわまち)は、長野県東信地方の町。北佐久郡に属し、浅間山東南麓に位置する。
19世紀末からの高原リゾート都市であり、歴史ある避暑地・別荘地として知られる[1][2][3][4]。
概要・特徴1923年の旧軽井沢ゴルフクラブ(摂政宮御一行)1930年代の旧軽井沢メインストリート詳細は「軽井沢#避暑地・別荘地としての特徴」を参照
町の北側は森林に広く覆われ、浅間山や上信越高原国立公園へと続いており、南側は草原や田園やゴルフ場が多く分布し、雄大なパノラマ風景が広がっている。町内には別荘、教会、リゾートホテル、レストラン、カフェ、美術館などが点在しており、年間を通じてハイキング、サイクリング、乗馬、ドライブ、ショッピング、ガストロノミー(グルメ)などを楽しむことができ、夏はゴルフやテニス、冬はスキーやスケートといった屋外レクリエーションに適する。
江戸時代までは中山道の宿場町として栄え、軽井沢宿・沓掛宿・追分宿の3宿が置かれたが、明治時代に入ると交通事情の変化により衰退した。そんな中イギリス系カナダ人宣教師のアレクサンダー・クロフト・ショーによって、その西洋に似た気候風土から1880年代に避暑地・別荘地として開拓され、それ以降高い人気を博している。
明治から昭和前期にかけて、「日本の中の西洋」と言われるまでに聖職者や外交官など毎夏千数百名の外国人が滞在、全国で最も外国人に人気のある夏のリゾート地となり(「日本三大外国人避暑地」も参照)、キリスト教をはじめとする西洋文化が流入した。大正期からは、外国人に倣って日本の上流階級も数多く滞在、皇族や華族、政財界の要人らの別荘が次々と建設され、社交界の舞台となった。加えて同時期から学者や小説家、画家、音楽家などの文化人も数多く滞在し、サロンの舞台にもなる。第二次世界大戦下には、枢軸国・中立国13ヵ国の大公使館と一般外国人千数百名の疎開先となり、連合国軍による空襲は行われなかった。戦後になると、外国人避暑客は減少するもののその知名度は日本人の間で全国的に拡大、高度経済成長期からバブル期にかけての別荘ブーム、アンノン族によるペンションブーム、平成期における通年型観光地への脱皮などを経て、今日に至るまでに発展した。