軽ボンネットバン
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}自動車 > 日本における自動車 > 軽自動車 > 軽ボンネットバン2014年12月22日から2021年12月21日まで販売されていた8代目スズキ・アルトバン

軽ボンネットバン(けいボンネットバン)は、1980年代軽自動車の主流を占めたボディスタイルであり、ハッチバックを備えた2ボックス(あるいは1.5ボックス)スタイルのライトバン貨物自動車の一種)である。「軽ボンバン」とも略される。
概要

法律上は前席2人掛け、後席2人掛けの4人乗りであるが、乗用車(いわゆるセダン、及びワゴンタイプ)と違い、法定の荷室面積確保の必要から、リアシートはリクライニング機構を全く持たず、垂直に立ったヘッドレストのないシートバックの付いた前倒式で、その上ニークリアランス(足元の間隔)が非常に狭くなっているため、概ね満9歳未満の子ども以外は実用に耐えないほど長時間乗車での苦痛を強いられる。また、ナンバープレートの車種を表す分類番号は、架装などで頭が「8」となった車両を除けば、軽トラック軽ワンボックスと同じく、頭が「4」となる番号[注 1]が付けられている。

1980年代当時、15.5 %もの物品税が課せられていた軽乗用車に対し、軽貨物車は物品税が非課税(その後、軽ボンネットバンのみ5.5 %に課税される)であったことから、低所得者層のファーストカー、または郊外や地方での節税目的のセカンドカーとして隆盛を極めた。また、軽自動車は貨物車であっても、当時の普通乗用車と同じ2年車検で、自動車保険も低廉であったため[注 2]、デメリットも小さかった。

1989年平成元年4月1日より実施された消費税導入に伴う税制優遇の相対的縮小に加え、1990年代以降の「トールワゴンブーム」などによるデラックス化への移行やライフスタイルの多様化などの理由で、軽自動車市場の主流から外れて傍流と化したものの、軽自動車カテゴリの一つとして定着した。

2021年令和3年)7月時点において、新車で購入可能な「軽ハッチバック(セダン)とボディを共有する軽ボンネットバン」は、唯一スズキでの生産・販売が続いていたが、個人ユーザー法人ユーザーを問わず需要が低迷したことや、2010年代半ば以降に入り問題となっている高齢ドライバーによる自動車運転事故に伴う自動車運転免許の自主返納の増加も手伝い、その価値観もほぼ崩壊した事を理由に2021年令和3年)末までに販売終了となり、結果的に同じく日本市場で既に傍流と化した既存の総排気量1,500 cc以下の5ナンバーサイズの小型セダン[注 3]より一足先に消滅する事となった。
沿革

そもそもこのスタイルの軽自動車は、軽四輪自動車の黎明期から多数存在しており、1955年(昭和30年)のスズキ・スズライトSLは乗用車タイプのモデルと併売された、極めて初期の初出例である。乗用車派生設計のバンとしては1959年スバル・360コマーシャルを経て1963年のスバル・360カスタムや1966年ダイハツ・フェローバン、1967年のホンダ・N360バンなど、古くから事例が見られる。1950年代後期?1960年代にはボンネット型の軽四輪トラックも多く作られたことから、その派生型としてライトバン型が発売された事例も多い[注 4][注 5]

しかしこれらは市場からも「小型ライトバン」として「貨物自動車」の一種と捉えられており、乗用車というよりはあくまで汎用車であった。また1960年代以降主流化したキャブオーバー型軽トラックシャーシ派生のワンボックス型ライトバンに比して輸送力・積載量が劣る[注 6]ため、ワンボックス型軽ライトバンが普及した1960年代後期以降は、さほど存在の大きなカテゴリーでもなくなっていた。

この傾向が一転したのは、日本におけるモータリゼーションが大幅に進行した1970年代に至ってからである。
47万円の「乗用車」アルトの出現「定価47万円」で一世を風靡した初代アルト(前期型:1979年5月 - 1982年10月)。簡易な2ストロークエンジンで、内装は鉄板むき出し部が多く、標準装備アクセサリーはヒーターのみで、AMラジオすら販売店装着オプションであった。また、ウインドウウォッシャーポンプに関しては電動式ではなく、コストダウンを計る理由で手押し式のウォッシャーポンプが用いられた

軽乗用車の売れ行きが低迷傾向にあった1970年代中期、特に自動車普及の進行が著しかった地方・郊外では、メインとなる1台目の乗用車に加えて、主婦等が軽便な交通機関として利用する2台目の自動車(セカンドカー)の需要が生じていた。

軽自動車メーカーのスズキ(当時は鈴木自動車工業)は、調査の結果「日常で自動車を使用するシチュエーションにおける平均乗車人数は2人未満」と割り出した。そこで当時過剰なデラックス化傾向を辿っていた一般の軽乗用車とは正反対の商品コンセプトを打ち出し、その手段として軽商用車のカテゴリを利用することにした。

当時は前輪駆動方式が軽自動車に本格普及した時期で、ボディスタイルも実用性の高いハッチバック形に収れんしつつあった。このレイアウトであれば、ボンネット形の3ドア乗用モデルと商用モデルは、自動車としての基本骨格をたやすく共通化できた。バンタイプの自動車は商用車としての制約から後席の居住性が悪いが、運転席部分は乗用車同様のスペースを確保でき、前席2人までの乗車ならユーザーにとっては乗用車と何ら変わりがない居住性を得られた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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