軍記物(ぐんきもの)とは、中世末期(室町時代)から近世初期にかけて、戦国武将や近世大名の武勲や武功について物語形式で記述した書物である。 「軍記」は武士が登場し合戦が相次ぐ中世の動乱をもっともよく代表する文芸のジャンルである。この「軍記」を細かく分けると、『将門記』・『陸奥話記』などの先駆的な作品を「初期軍記」、『平家物語』から『太平記』までのものを「前期軍記」、室町時代以後のものが「後期軍記」となる。 「初期軍記」、「前期軍記」は国文学研究における「軍記物語・軍記文学」に相当するのに対し、(本項の「軍記物」に相当する)「後期軍記」はより文芸作品から離れて実録・家伝の色合いを強めていく。中世史の研究においては軍記物を通じた研究が行われる場合もある。その場合には、軍記物が特定の武士や家に対する顕彰的要素や創作的要素を含むものであることを前提にする必要がある一方で、そこから作者が持つ「家」や「先祖」に対する意識などを見出すことも可能である[1]。 「後期軍記」においては、応仁の乱を描いた『応仁記』までを「室町軍記」、それ以後の戦国時代の戦乱を描いたものを「戦国軍記」と細分化する方法が存在する。さらに、「戦国軍記」には、戦国時代において筆録された物と、近世に筆録された物とが存在し、後者を「近世軍記」と区別する方法も存在する。 これらの書が書かれた背景には、元和偃武により江戸幕府の基礎が固まり、各大名家が自家の正当性、高貴性を主張するために系図を改竄するなどした時代の風潮の中で、「わが家の今日の厚遇があるのは、先祖のこのような命がけの武勲のおかげであり、正当な報酬なのである」という主張をする意図があったと考えられる。また、子孫に対して先祖の偉業を知らしめる目的もあったと思われる。 また、「初期軍記」、「前期軍記」などの軍記物語が結晶度の高い文学として見るべき作品が多く関心が高いのに対し、「後期軍記」(軍記物)は顧みられることは少ない。しかしながら、「後期軍記」、特に「戦国軍記」は全国的な広がりを持ち、軍記がもっとも多様な展開を見せた時期であるといえる。この「戦国軍記」は基礎的な調査研究はほとんどなされておらず、原文のまま活字化されておらず現代語訳の無いものがほとんどであり、活字化されているものは数百あるうちのごく一部に過ぎないのが現状である[2]。
概要
成立背景
軍記物の特徴などに数多く収録されている。しかしながら、子孫の口述や風聞を元に記録されたものが多く、書状などの一次史料と一致しない記事、また改竄された系図に倣う記事などもあり、記録としての正確性は軍記物ごとに様々である。
軍記物(後期軍記)の一覧
戦国軍記
両細川の乱?三好家の台頭(畿内)
通史・年代記: 足利季世記
家記・武将記:細川両家記/二川物語/細川政元記/九郎澄之物語/九郎殿物語/ 瓦林政頼記/細川高国晴元争闘記/義昭興廃記
戦場記:舟岡山軍記/久米田合戦
永享の乱?享徳の乱(関東)
通史・年代記:永享記/鎌倉大草紙/関東合戦記/相州兵乱記〔北条記〕/鎌倉管領九代記
家記・武将記:松陰私語*/喜連川判鑑*/道灌状*
東北の戦乱
通史・年代記:奥羽永慶軍記/新編東国記/秋田古戦記/志和軍戦記/東奥軍記/田村兵軍記/藤葉栄衰記/天正南部軍記/最上記追加/檜原軍物語/ 老士雑談*/奥羽軍談
家記・武将記:浅利軍記/南部根元記/阿曽沼興廃記/最上義光物語/余目氏旧記/余目安保軍記/葛西盛衰記/大崎盛衰記/会津葦名記/会津四家合考*